
【時事考察】今年はどんな年だったの? 不意に聞かれて言葉に詰まる時代だ
去年に続き、野やぎさんの「2024年 #小説 noteまとめ100作」に取り上げて頂いた。ご推薦くれた方、ありがとうございます!
野やぎさんからは拙作『【ショートショート】ちょっと未来 (2,998文字)』について素敵なコメントをもらえて嬉しかった。100作読むって本当にすごいです!
のっけからラストまでツッコまずにはいられないパワー!さんまさんのくだり、めちゃくちゃ笑ってしまった……!!!ショートショートのおかしみぜんぶって感じで大好物です。読後感もすっきりたのしい。だよね!!!好き。ぜひ。
このショートショートを書いたのは5月末だったので、自分でも内容をあまり覚えていなかったけれど、今回、改めて読み直したらけっこう面白くてビックリした。
テレビで2024年には様々な技術が完成し、生活が一般するだろうとテレビで特集されているのを見て、自分でタイムマシンを作り、2000年代前半から2024年の渋谷にやってきた青年と現代人が会話するというもの。
この20年ちょっとでわたしたちの生活はかなり便利になったはずなんだけど、プレゼンするとなったらけっこう難しいというところをテーマにしてみた。「空飛ぶ車が大阪万博で披露されるよ」って説明したら昭和みたいだし、未来っぽいビデオ通話よりLINEのチャットを使う人の方が多いし、明石家さんまはまだバラエティで暴れているし、人気の漫画はONE PIECEのままだし。2000年代前半と一緒じゃない? と言いたくなってしまう。
しかし、その一方で2000年代前半には考えられなかっことが起こりまくってもいる。
わたしは慌てて、2024年にジャニーズ事務所が存在しないこと、松本人志は芸能界から消えたこと、国際情勢は第三次世界大戦の様相を呈していることなど伝えようとした。だから、2000年代前半とは全然違うよと示したかった。
これを書いたのは5月末だったけど、それから年末までにかけてもビックリするようなことがたくさんあった。
国内の政治だと都知事選で石丸伸二さんが二位になり、総裁選では石破さんが勝ち、衆院選では国民民主党が躍進した。兵庫県知事選で斎藤元彦さんが再選した。いずれもテレビや新聞で報じられていたストーリーに反する展開だったので、自他ともにマスコミはオールドメディアと認めざるを得なくなってしまった。
世界ではトランプ大統領が銃撃された後に再選、韓国の尹錫悦大統領は戒厳令を宣言し、逮捕状を出されてしまった。ロシアのウクライナ侵攻によって始まった戦争に北朝鮮が参戦し、イスラエルとパレスチナの紛争は客観的に見たら第五次中東戦争以外のなにものでもない。シリアではアサド政権が崩壊した。中国の圧力は露骨に増してきていて、日本のEEZ内に設置したブイの撤去を拒否している。これは台湾の東側に位置する場所なので、どう考えても台湾有事を見越した準備である。少しずつ、でも、確実に世界は二つのグループに分かれつつある。つまり、冷戦はまだ終わっていなかったのだ。
ただ、仮に2000年代前半からやってきた青年にこのことを伝えようと思ったら、どうしたものかと悩んでしまう。そんなとき、GLAYの『ホワイトロード』という曲の一節が頭に浮かぶ。
今年はどんな年だったの?
不意に聞かれて言葉に詰まる時代だ
これがリリースされた2004年、当時は21世紀に入り、近代的な国家対国家の戦争は終わったとみんなが信じていた。脅威はあくまでテロ組織。未だSNSも存在せず、インターネットは便利だけど、機械に詳しい人たちだけが使いこなしているものだった。ガラケーはガラケーと呼ばれていなかった。クーポンは新聞の折り込み広告をハサミで切って持ち歩いていた。知らない場所へ行くときは地図を調べて印刷していた。ユニクロと言えばフリースだった。JPOPの歌詞は「愛」とか「勇気」とか「君を守る」とか、本当に浅い言葉をタイトなジーンズにねじ込んでいたけれど、だからこそカラオケで歌うとシンプルに盛り上がった。なんのための改革なのかわからないまま、郵政民営化にみんなが賛成していた。デフレが進みまくり、ハンバーガーは59円、牛丼は280円で食べられるようになったので、不況とは言え、食うに困らない安心感があった。いまと違ってオリンピック熱は高く、「栄光の架橋だ!」の名実況を国民がちゃんと見ていた。流行語大賞に選ばれる言葉が本当に流行していた。なんというか、底抜けに平和だった。
だから、「今年はどんな年だったの? 不意に聞かれて言葉に詰まる時代だ」というフレーズは特徴のない日々を意味していた。よくも悪くも大きな事件が存在せず、誰もが平熱で生きていた。
2024年。状況は大きく変わった。特徴のある日々が続いている。毎日、どこかで誰かが炎上している。カリスマなんて生まれなくなった。地球のあちこちで歴史に残る大事件が発生しまくっている。世界中がインフルエンザにかかっているようで、この悪夢をどんな言葉で表せばいいのか、ボキャブラリーが間に合っていない。
個人的には能登の震災に対する国の姿勢がショックだった。
まだ、困っている人がたくさんいるにもかかわらず、国会議員やコメンテーターが過疎地の切り捨ては合理的であるという議論を交わしていたことに強い怒りを覚えた。でも、わたしの身近な人たちも経済的にそれは仕方ないと口にしていた。トリアージの概念を援用し、被災地の人たちは移住すべきという話が説得力を持ち出していた。
たしかにそれはそうなのかもしれない。ただ、このとき、優先順位のつけ方が適切なのかを考えなくてはいけない。具体的に言うなら、公費解体もがれき撤去も進まない状況で、大阪万博をやる必要ってあるんだっけ? という素朴な疑問が棚上げにされているのがよくない。予算の組み立ては別かもしれないが、現場で働く人たちや建築資材は共通しているわけで、物理的にはそれらを被災地に投入することは可能だ。誰がどういう基準で選んだのかよくわからない、時代の寵児らしきプロデューサーたちのエゴイスティックなパビリオンこそ優先順位は下なんじゃないの? と。
加えて、政府の方針として、国民に過疎地の切り捨てを慣れさせたいという意図が見えることもわたしは抵抗を覚える。
これから大きな災害や戦争が起こることは間違いない。たとえば、南海トラフ地震が来たら、都市部の復興を優先させるため、地方は後回しにすることが想定されている。当然、そうなると過疎地は切り捨てられてしまう。台湾有事では沖縄も戦場になることが予想されている。公開されているところで言えば、離島の住民を九州の各県に避難させる計画はすでに立てられ、運用面の調整が着実に進んでいる。ロシアが北方領土を越えてきた場合、現地住民を避難させる準備もできているとか。
いずれも報道はされているので、国は別に隠しているわけではないけれど、ただ、住む場所がなくなるかもしれない問題について積極的には言及してこなかった。理由は反発が想定されるからで、政治家という人気商売を続けるためには触れたくないのはよくわかる。
しかし、災害も戦争も現実に差し迫っているわけで、なあなあに誤魔化してもいられない。ハレーションに向き合わなくては。
なのに、政府はこの期に及んで弱腰なまま。曖昧な空気で、過疎地の切り捨ては仕方ないという価値観だけをゆっくりと蔓延させる楽な道を選んでいるように見える。ただ、そういうファジーなコンセンサスの先にあるのは基準の見えないトリアージ。客観的な優先順位ではなく、主観的な優先順位が用いられるかもしれず、それはあまりに恐ろしい。
だって、能登半島の復興より大阪万博を優先するのって、完全に政治マターだもの。東京オリンピック2020と一緒で中止をしたら国際的な信頼を損なうというメンツが価値を持ってしまう。でも、そのメンツって人工的に作り出されたものだよね。なんとか協会が様々な企業から金を集めて、さも歴史と伝統があるかのような雰囲気で不平等な契約書で開催国を縛りつけるという植民地時代のようなメソッドで強引にブランドを作り出しているだけ。そんなものに国内政治のイニシアティブを奪われてしまうって、冷静に考えてよくないでしょ。
トリアージをしなきゃいけないとしたら、ちゃんと基準を明確にしておかなくては。それを作らず、政府が自分たちの延命のために「トリアージが必要」という空気を利用するのを認めちゃダメだ。その基準がないんだったら、まずは復興を優先しなくちゃ。それが国ってもんじゃないの?
じゃなかったら、税金を払っているのバカらしいよね。建築家やプロデューサーに選ばれた有名人たちが大阪万博で天才アーティストとして振る舞うために使われるなんて、一ミリも納得できない。だったら国なんて要らないと本気で思う。
今年はどんな年だったの? 不意に聞かれて言葉に詰まる時代だ。
でも、言葉にしていかなくてはいけない。さもなくば、曖昧な空気でわたしたちの生活は知らないうちに奪われてしまう。こうやってnoteに書いたり、SNSでつぶやいたりするだけでも力になるはず。
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