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【JICA海外協力隊】#57 241124 110/730日目「不便が日常になっていく」

こんにちは。JICA海外協力隊 2024-1次隊のなべみです。

本日もなべみの記事にアクセスしていただきありがとうございます。


今日は日曜日。昨日に引き続き引きこもりデーを送っているなべみです。

今日は掃除、手洗い洗濯、任国外旅行の計画、縫い物、料理、日本にいる友人との電話、色々やりました。

特に縫い物は、穴の開いた靴下をひたすらぬいぬいしてました。

なべみは職場でパンプスを履いているので、靴下もパンプス用のものを毎日履いています。

パンプス用の靴下って極薄な分めちゃめちゃ穴開くんですよね。

日本にいた頃なら間違いなく捨てている穴あき靴下。

でもここはマラウイ。物を簡単に捨てるなんて勿体無い。

捨てる前にまず使い回す方法を考えます。

そこで今回浮かんだ方法は、糸で穴を埋めること。2足(計4枚)の穴あき靴下をひたすらぬいぬいしていきました。

穴の開いた靴下を縫い合わせてまた履くなんて、なべみにとっては初めての経験です。

でもやってみると意外と靴下の穴って細い糸だけでも埋まるもんなんですね。意外と簡単にできちゃいました。

明日からこれで出勤してみて、またすぐに破けないかどうかを試してみようと思います。


さて今日は、「不便が日常になっていく日々」について書いていこうと思います。

今日も最後までお付き合いただけると嬉しいです。


毎日履いているパンプス用のソックス。底やかかとに穴が開いてボロボロになってしまいました。


こんな感じで縫い合わせていきます。


ぬいぬい後。糸だけで縫い合わせてみました。応急処置みたいな感じで縫い合わせただけですが。


かかとの穴も綺麗に塞ぎました。




不便が当たり前の日々

マラウイに来てから、生活の中で「不便」なことが当たり前になっています。

日本にいた時では考えられない感覚だなと思います。

例えば日本では電車が時刻通りに発車するのは当たり前で、到着がたった2分でも遅れると車内アナウンスが入るほどの正確さです。

水道、電気、ガスが来るのは当たり前です。災害等の予測不能な事態が起こった場合を除き、これらの生活インフラが止まることはまずありません。

家の設計も完璧です。住人が安全かつ快適に住めるよう超綿密に設計され、設計通りにミスなく綿密に家が作られているのは当たり前です。

家電などの調子が悪ければ該当の連絡先に連絡すればすぐに直してくれます。

物事がスムーズに進むのが当たり前、それが日本です。


でもマラウイでは違う。不便なことが当たり前の国です。思い通りに事が進まないのは当たり前です。

生活インフラは止まるのが当たり前です。停電・断水はしょっちゅうです。

家の不具合があってもすぐに修理業者が来てくれるとは限りません。約束の日時に来てくれる保証もありません。

うちのバスルームは電球があるのにその電球のスイッチの場所がどこにもありません。電気が点きません。

理由は分かりません。大家に聞いても分かりません。誰にもわからないバスルームのスイッチの謎。軽くミステリー。

だからなべみはバスルームで電気を使わない生活を日々送っています。

最初こそ「不便だな、でも仕方ないな」と思いつつも、その次の日以降はバスルームで電気が点かない生活を当たり前だと思うようになりました。


このようになべみはいろんな不便と隣り合わせの日常を送っています。

不便が当たり前の毎日です。


「不便」へのアンテナが弱まっている

なべみの「日常における不便」なんて本当はこんなもんじゃなく、よく考えれば山のようにあるんだと思うんです。

でもいざ具体例を聞かれてもなかなか浮かんでこない。

なぜか。それはなべみが不便に慣れすぎたからだと思います。


マラウイに来てまもなく4ヶ月を迎えようとしている今日この頃。

家にいる時だけでなく、外に出た時、ドミトリーに住んでいた時など、とにかくいろんな場面でいろんな不便を経験してきました。

最初は日本じゃ絶対に起こらないような不便ばかりで、その度に「ええ〜」とびっくりしていました。

まるで世界最貧国マラウイの洗礼を受けているかのようでした。

でも今や、不便であることがデフォルトになってしまい、「不便なことって何?」と聞かれた時に「あれ、私日常でなんか不便してるっけ? 山のようにたくさんあるはずなのに出てこない、、」となってしまう現実。

なべみは不便に慣れすぎて、日常の「不便」へのアンテナが弱まっているんだと思います。


100%完璧じゃなくていい世界は生きやすい

こんな感じで、日本には当たり前のように存在するのに、マラウイには存在しないものがたくさんあるんです。

マラウイも日本のようにもっと便利になればいいのに。そう考える方もいるかもしれません。

でも私が不便な生活を経験して思うのは、「100%完璧である必要のない世界は生きやすいのかもしれない」ということです。


なべみが日本にいた時は、自分が常に100%を要求される世界に置かれていることを度々痛感していました。

ミスが許されないギリギリの世界。「常に100%であるのが当たり前」という社会に蔓延する暗黙のルール。

100%じゃなければ酷く怒られ、「100%じゃなくてもいいじゃん」と思いながらも、それでも100%じゃなかったことは事実だから、悪くないと思いつつも謝らなければならない世の中。正直生きづらかった。

でも、マラウイに来てから私はいろんな不便に出会ってきました。少なくとも日本のように100%は求められないし、日本で求められているものと同じ、100%のものはそもそも期待されていないようなそんな国です。

マラウイで出会ったのは、日本じゃ考えられないような不便たち。

「これくらいの不便、まあしょうがないな」と素直に受け入れ、潔く諦めるようになりました。

なべみはきっと日本に帰ってからも、日本の当たり前を時にぶち壊す時々の不便を受け入れられるようになる気がします。

だって私はこの世界が100%完璧じゃないことを知っているから。それは日本でさえもそう。

全てが完璧な世界なんて無理。完璧が当たり前の世界なんてどこにも存在しない。

人間でさえも100%完璧な人は存在しない。

常に完璧な状態を求められ、息苦しさを感じる世の中よりも、ある程度の不便を感じる世の中の方が、個人的には生きやすいかもしれません。


あとがき

本日もお読みいただきありがとうございました。

今回は「不便が日常になっている」話を綴ってみました。

誤解のないように追記しておくと、私は日本の「全てにおいて便利なところ」が大好きです。

「日本の便利」を支えてくださる方々のおかげで、日本に住む人々の便利が当たり前になっているのですから。

それは本当に素晴らしいことですし、同じ日本人として大変誇らしいです。

でも、マラウイの不便な暮らしもそれはそれで悪くないよ、ってことを伝えたかったのです。

どっちにもいいところがある。それでいいんだと思うんです。


では本日はここまで。

いつもなべみの記事をお読みいただきありがとうございます。

また明日お会いしましょ〜👋👋👋





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