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「余命10年」

来年実写映画化される小説「余命10年」。劇伴をRADWIMPSが担当するということで話題ですよね。

なんとなく気になったので小説をひと足先に読んでみました。といっても、発刊されたのは2007年です。そして、著者の小坂流加さんは、2017年にご病気で他界されています。

不治の病を抱えた主人公の茉莉が抱く気持ちは、果たして全てがノンフィクションなのでしょうか。

あらすじ

主人公の茉莉は、肺に病気が見つかります。当時は完治した症例がなく、治療法も特効薬もありません。これまでの患者は発症から10年以内に亡くなっていました。

そして同じ病棟で、同じ病を患う礼子が茉莉の目の前で息を引き取ります。

まだ会話が出来たとき、礼子は茉莉に「人生に後悔はある?」と尋ねます。そして礼子は、ありがとう・ごめんなさい・好きです、が言えなかったのを後悔していると茉莉に告白するのでした。

彼女を愛し、彼女が愛した家族が泣き崩れるのを見た茉莉は大切なものをこれ以上増やさないと決めます。

しかしある日小学校の同級生である和人と再会したことで、茉莉の心に変化が訪れます。


20歳の茉莉とわたし

20歳の頃、自分が老いることもピンと来ていなくて、もちろん「死ぬ」ということも現実的ではなかった頃ではないでしょうか?

当時のわたしが持っていた死生観もその程度でした。(その約1年後、父を病気で亡くしたときにまた変わるのですが。)

そんな風にまだ老いることも知らず、死とはまだまだ遠くにいるような年齢で余命を宣告されるなんて想像もできません。

23歳の茉莉の苦しみ

やっと病気発覚から治療のために長期入院をしていた茉莉。退院したものの短大は中退し、病気のため勤めにでることができません。それでも病気のおかげで収入を得ることができますし、両親は健在なので生活に困ることもありません。家族は仲が良く、姉も優しい。しかし毎日大量の薬を飲む必要があり、食事生活に気を使い続けなければいけません。期間はあと約7年。そして7年後には自分はもう存在していないかもしれない。

真綿で首を絞められるというのはこのことではないでしょうか。日常のひとコマひとコマが自分の死に繋がっている感じ。わたしは自分の身に置き換えたときとてもぞっとしました。焦りと絶望に頭を支配されそうです。

25歳の茉莉
死を受け入れるということ

心理学分野の研究によると、余命宣告を受けた人間が辿る受容の段階にはいくつかあるそうです。

エリザベス・キューブラー・ロスさんの研究を私なりに解釈すると…

①否認:恐怖・不安による現実逃避

②怒り:なぜ自分なのか

③取引:死と向き合うために時間が足りないという苦しみから、何かにすがりたくなる

④抑うつ:何かに縋ろうとも逃げられるものではないと理解することで気持ちが落ち込む

⑤受容:その人なりに死を受け入れた段階

解釈にズレがあれば申し訳ございません。。。

『余命10年』の茉莉は、否認も怒りも家族の前で否認も怒りも露わにしませんでした。25歳で和人と再会して、和人と関わってくる中でやっと茉莉が自分の死を受容する準備が始まったのだなと感じました。

実は、この本を読んでいるときは本当に死を受け入れる5段階の詳細を忘れていました。読み終わって振り返っているときふわりと思い出しました。

茉莉にとっても和人との再会は無くてはならないものだったと思いますし、和人にとってもただ悲しいだけの思い出では無かったはずです。

死を受け入れたと思い込むことで生きることから逃げていた茉莉と、運命を受け入れることから逃げるように生きている和人の出会いはちょっと間違うとお互い嫌悪しかないかもしれません。

それでもお互い惹かれ合ったのは奇跡だし、惹かれ合ったことでお互いが自分の人生を生きることができました。運命的ですよね。

27歳の和人とわたし
誰かの死を受け入れるということ

死の受容の段階って、おそらく大切な人の死を受け入れるときにも割と当てはまりますよね。和人が茉莉の余命を知った時にも否認・怒り・取引の段階まで見えました。

私の父もガンで余命宣告をされましたが、母や私の気持ちや態度の変化もなんとなく当てはまりました。ただ、「怒り」については私にはなかったかな。「怒り」を露わにしていたのは祖母でした。母はあまり感情を表に出す人ではなかったから分からないのですが。誰かのために「怒る」というのは心がかなり近くにある人の特権かもしれませんね。

私は、否認の時期がかなり長かったと記憶しています。「あの強くて元気な父がまさか」と亡くなる直前まで思っていました。余命をあえて父には隠していたという点も大きいかもしれません。父に悟られないようにお細心の注意を払っていました。行き道で泣いたらばれてしまいますので、泣いていいのは帰り道だけ。父は大丈夫だと自分に思い込ませていただけかもしれません。

結果として私は父の死を受け入れて心を整えるのに時間がかかってしまいました。死をむかえる人も、その人の死を悼む人も受け入れるのには段階が必要です。できるだけ多くの人がお互いに思い残すことがないように、対話して怒り・悲しんで精一杯のお別れができたらいいなと思います。

30歳の茉莉

死ぬ時に辛くならないようにと誰かを傍におくことをしなかった茉莉でしたが、孤独に死を迎えるのも実は辛かったようです。

茉莉が和人と最後まで一緒にいる未来は実現できなかったのだろうかという悔しさが一番に余韻として残りました。

これは無人島に何を持っていくか。に似ている気がします。きっと何を選んでも、良かったと同時に後悔が出ると思うのです。

それくらい自分の死って未知なことですよね。ではわたしは最後まで何を手放さないだろうかと考え込んでしまいました。この気持ち、前もどこかで…と思ったら小川糸さんの「ライオンのおやつ」でした。

小川糸さんはお母様を看取る側の視点で死に向き合いこの小説を書かれたそうです。小坂流加さんはおそらく自分の死と向き合って書かれたのではないかと考えました。どちら側から覗いても繋がるのは、「死」というのが誰にでも絶対訪れるからなのでしょうか。

自分がもし余命10年だったらいったい何をして何をしないのでしょう。最後まで手放したくないものは何なのだろう。もう少し丁寧に自分の人生を生きたくなりました。

かなりの乱文ですが、初見の気持ちとして残して置きたいと思います。

追記

筆が止まっているうちにキャストも公開されていました。期待が膨らみます…♡

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