アコーディオンのような組織
最近は、オフィスへの行き帰りのバスや電車の中でnoteを書いています。
これまでは、文章を書くスピード的にも、構成力的にも、きちんと1時間は時間を取らないとかけない、という感じだったのですが、書き慣れてきたことと、感じたことをあまり飾らず、ホットなまま文字に起こしたい、という想いで、通勤の20分くらいの時間を使って書いています。
今日も、ホームで電車を待っている時にnoteを開き、さあ書こう、と思った時、Colorbathで一緒に働くかおりんの記事が目に留まりました。
もともと、別の記事を書こうと思っていたのですが、「あっ!」と書きたいことが出てきて、先にこちらを書き始めてしまいました。笑
かおりんの記事には、Colorbathがメンバー同士のコミュニケーションで大切にしている「I メッセージ」についての気づきが書かれています。
記事には、自分の「I メッセージ」が、最近錆びついていると感じていて、I メッセージがさっと出てくるように、よりその力を磨いていきたい、ということが書いてありました。
かおりんは、いつもとても謙虚で、ストイックで、20歳とは思えないくらいの落ち着き用と安定感があります。
ただ、自分はこの文章を読んで、全然、錆びついてるなんてことはないよな〜と思ったのです。
そんなことを考えていて思い出したのが、最近のスタッフ間でのmtgで共有されたことでした。
アコーディオンのような組織
アコーディオンは押したり引いたりして音を奏でる楽器です。
アコーディオンのような組織というのは、この押し引きを、「収束と拡散」として捉えて、仕事での役割分担をイメージしやすくしたものです。
例えば、何か進行中のプロジェクトやタスクのスケジュールを管理して、メンバーのお尻を叩く人は「収束」の役割を担う。
一方、締切がありながらも、最大限まで創造的な仕事、団体のミッションに沿った仕事にしようとする人は「拡散」の役割を担う。
同じゴールを目指した一つの仕事の中でも、このように役割分担をしてバランスをとり、良い仕事をしよう、という考え方です。
かおりんが錆びついたと感じたのは、この役割分担で言う「収束」を担うことが多くなっているからなのかなとも思いました。
広報、情報発信という文脈では、「収束」の役割が多いかと思うのですが、例えば、ネパールのコーヒープロジェクトでは、四半期の振り返りなどにも入ってもらって、むしろ「拡散」的な意見を出してもらっているなと、感じています。
向上心と許容
かおりんも文中で、「そんな自分を許しつつ」と書いていましたが、収束と拡散のように、「成長しようという向上心」と「うまくいかない自分を許すこと」も、チームで押し引きしていけるものなのかもなと思い、文字に起こしてみました。
そして、サッと書こうとしたのですが、思いのほか長くなってしまいました。
今日はこの辺で筆を置こうと思います。
(最近読んだ、ちょっと古風な文通の小説で使われていた表現に憧れて使ってみました。笑)