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無自覚に起こした罪は一体誰が赦すのだろうか
この気持ちをどう伝えたらいいのだろう。
最適な言葉が見つからず、何も言えないまま、
とても複雑な気持ちとモヤモヤしながら言葉を紡いでいる。
ずっと楽しみにしていた
カツセマサヒコの『ブルーマリッジ』。
人は人を知らぬ間に傷つけていて、
まだまだ男女間における性差を超えられない暗黙的で古い現実がしっかり言葉として表現されていた。
辛かった。
読み進める度になぜか胸の奥が苦しくなった。
超えられない性差がどうしてもあるのは、
日本社会の一つの特徴かもしれない。
「女性が〜」とか、「男性が〜」とか今でも言われてしまうのは、やっぱり力関係やキャリアの進み方含めできないことがどうしてもあるからで。
男性も女性もどんな人も、自分が思い描いた理想を叶えるために、そうなりたいという憧れのために日々一生懸命頑張っている。
でもその憧れや理想は、それを叶えるために必ず誰かの支え(裏を返せば犠牲)があるということを忘れてはいけないと思った。
無自覚に起こした罪は、1番残酷だと思う。
でもその無自覚ゆえの罪は、
犯してしまった人にとって、気づいたときにその罪がどれだけ深刻なことかを教え、その罪の重さに気づかせてくれるある意味救いのようなものだと思う。
私もこれまでの人生で気づかぬうちに、
この無自覚な罪を犯してきたかもしれないし、その可能性なんていくらでもある。
だからこそ、この本を読み進めれば読み進めるほど到底他人事には思えなくて、読み進める度に辛くて、最初どう言葉を紡いだら良いのか分からなかったのかもしれない。
いま、書き出すことで少しは楽になった気でいるけれど、同時にいま一緒にいてくれる大切な人たちを無邪気さゆえに無自覚に傷つけていないか不安になった。
著者であるカツセさんの小説は、
そういった他人事のように見えて自分の中に内在している決して他人事にしてはならない潜在意識のようなものをいつもしっかりと自分の中に映し出してくれるような気がする。
いつも読む前はその装丁とあらすじの美しさに胸を膨らませるが、読み終わった後は冷静にずっしりと心に重みを感じながら深く考えさせられる。
この物語の主人公の守や土方さん、守の彼女、土方さんの奥さん…etc
この物語に出てくるすべての人が、どこかで少しでも笑って希望を持って生きていてくれたらいいなと思った。ただそれだけを願いたい。
カツセマサヒコ『ブルーマリッジ』/2024年。