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仏教と反出生主義の違い
以下の動画のコメント欄に、スマナサーラ長老は「反出生主義(antinatalism)」の趣旨を理解していないのでは? というコメントが付いたので返信した。仏教と反出生主義の違いについてはよく質問されるので、シェアしておきたい。
スマナサーラ長老の回答のポイントは、「無明と渇愛を滅しない限り生まれ続ける」ということだと思います。個人が子供を作らないという選択をしたからと言って、輪廻する生命は業にひかれて勝手に(五道あるいは六道輪廻のいずれかの生命に)生まれます。つまり、個が子供を作らないという決断に、生命の総数を増減させる効果はないのです。本人が無明と渇愛を滅していれば、つまり解脱に達していれば、性欲がないので「あえて子供を作る気にはならない」でしょう。しかし、煩悩具足の者が特定の思想に従って子供を作ろうが作るまいが、本人は業にひかれて死後も輪廻するだけです。人間の狭い認識でひり出した「反出生主義」をいくら実践したところで、個人的なレベルでも生命全体のレベルでも、いささかなりとも目的を達成することは不可能でしょう。また、仏教的には人間に生まれるのは善業によるし、仏道修行に適した境涯も人間なので、ことさらに「人間としての出生」を嫌悪する発想はありません(もちろん讃嘆する発想もない)。仏教の側から「反出生主義」という現代思想にコメントするとすれば、「いい加減、アホな妄想は止めなされ」といった塩対応にならざるを得ないかと存じます。
ちなみに、日本の仏教学界では最近まで、「ブッダが輪廻を説かなかった」という珍説が一部で持て囃されてきました。そのような珍説に拠ると、仏教と反出生主義は近似する思想に捉えられる可能性があるかも知れません。以上、参考になれば幸いです。
このコメントへの返信も頂いた。納得してもらえたようでよかったです。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
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