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アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書をたどる『パーリ経典解説を読破する』【最新アップデート版】

はじめに

2003年から2022年までの20年間に出版されたアルボムッレ・スマナサーラ長老のパーリ経典解説本を網羅して紹介します。もちろん長老の書籍はすべてパーリ三蔵の教えに基づいて執筆されており、本のなかで経典の言葉が引用されることもしばしばです。ここでは経典の解説、特定の経典にちなんだ法話を主軸とした書籍のみを扱います。仏教に馴染みのない人も手に取りやすいやさしい法話から、パーリ語の原文を引いた本格的な経典解説まで、バラエティに富んだラインナップになっています。

テーラワーダ仏教圏で伝承されてきたパーリ三蔵(経・律・論)のうち、釈尊の言行録である経典(スッタ)をまとめた経蔵(スッタ・ピタカ)は、長部(ディーガ・ニカーヤ 長編の経典集)・中部(マッジマ・ニカーヤ 中編の経典集)・相応部(サンユッタ・ニカーヤ テーマ別の経典集)・増支部(アングッタラ・ニカーヤ 教えの項目の数でまとめた経典集)・小部(クッダカ・ニカーヤ その他の経典集)という五つのカテゴリーに別れています。『ダンマパダ(法句経)』や『スッタニパータ』など、一般の人々にも親しみが深いパーリ経典はこのうち小部に含まれます。本稿では、まず人口に膾炙した両経を注釈した法話集を年代順にリストアップし、次に中部・相応部・増支部、長部所収の諸経の解説書、番外編として大乗経典&禅語を論じた異色作2タイトルを紹介したいと思います。

筆者は2003年から日本テーラワーダ仏教協会の編集部門で仕事をしてきたため、幸いにも本稿で扱った全著作の企画・編集に関わることができました。それだけに少々、情緒過多に走ったところもあると思いますが、ご寛恕のほどお願いします。膨大なスマナサーラ長老の著作にアクセスする登山口の一つとして、読んでいただければ幸いです。(佐藤哲朗)

●ダンマパダを読む

原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一話

佼成出版社 2003年12月刊 ※文庫版『心に怒りの火をつけない ~ブッダの言葉〈法句経〉で知る慈悲の教え』角川文庫 2011年10月刊

「あらゆるもののなかで、先立つものは心である。あらゆるものは、心を主とし、心によってつくりだされる。」(第一偈)など数々の金言で広く親しまれている『ダンマパダ(法句経)』にちなんだ掌編法話集です。長老自ら『ダンマパダ』から50偈を選んで和訳し、短い法話と併せて紹介。ランダムにどこからでも読める構成です。目次を眺めてみれば、いまの自分に当てはまる法話が必ず見つかるでしょう。パーリ語を自家薬籠中の物とする著者の手で日本語訳された『「原訳」ダンマパダ』は、従来の訳文に飽き足らなかった多くの読者から反響を得ました。テーラワーダ仏教僧侶による『ダンマパダ』法話という企画自体、実は画期的なものだったのです。十年以上経っても版を重ね続け、『心に怒りの火をつけない ブッダの言葉〈法句経〉で知る慈悲の教え』 (角川文庫)として文庫化もされました。仏教が気になり始めたという人に、まず手に取ってほしい一冊です。

原訳「法句経(ダンマパダ)」一日一悟

佼成出版社 2005年11月刊

一日一話の続編です。正編に比べて紹介する偈の数を絞り込み、そのぶん密度を増した法話が28話収録されています。前作のゆったりした口調に比べると語り口も迫力を増していて、法話集としての切れ味の鋭さはスマナサーラ長老の数ある著作のなかでも随一だと思います。欲望や怒りとの付き合い方、日々の生活の迷い、社会システムの矛盾、人生の究極の目的まで、ブッダその人(釈迦牟尼仏陀)の息吹が伝わってくるようなシンプルでごまかしのない訳文と、それを受けて語られる迫力ある法話に触れるとき、「一日一悟」のタイトルはけっして大げさではないと実感できるでしょう。日本語で『ダンマパダ』にアクセスしようとする時、まっさきに挙げられる本として、長く読み継がれるのではないかと思います。「はじめに 平和の礎を築く」で強調されているように、一貫したテーマは「平和の実現」です。競争主義に囚われた私たちに、根本的な価値転換を促す作品なのです。

賢い人 愚かな人―人生を克服する34の智慧

大法輪閣(電書版 Evolving) 2000年8月刊行

創刊以来、『パティパダー』(日本テーラワーダ仏教協会月刊機関誌)に毎月掲載されている「巻頭法話」から、一九九六年から九九年にかけて書かれた作品34篇をまとめた本です。『ダンマパダ』各章のうち、④花の章、⑤愚者の章、⑥賢者の章、⑦阿羅漢の章、⑧千の章、⑨悪の章までの主要な偈が取り上げられています。

一日を変えるブッダの教え 

サンガ 2016年1月刊

こちらも『パティパダー』の巻頭法話をまとめた本です。執筆年代ではなく、競争社会をどう生きる?、悩みの元は思考にあり、怒りを手放す、身体と心、好き嫌いは危険な妄想、幸福な人生を目指して、という6つのテーマに沿った30篇の『ダンマパダ』法話で構成されています。

ダンマパダ法話全集 第十巻―第二十六 婆羅門の章

サンガ 2020年1月刊

二〇一八年まで『パティパダー』に連載されたスマナサーラ長老の『ダンマパダ』法話(巻頭法話)をすべて収録する全集企画『ダンマパダ法話全集』(サンガ)。第一回配本は、最終巻である「第10巻(26章) 婆羅門の章」から。誰もが名前は知っているけれど、おそらく通読した人は少ないであろうダンマパダのもっともディープなところから、じっくり味わってもらおうという趣向です。覚りを開いた聖者たる「真のバラモン」とは如何なる人なのでしょうか? 尚、大迫力の表紙は、蓮をテーマに独自の世界観を切り開く金谷真さんの作品です。

ダンマパダ法話全集 第九巻―第二十四 渇愛の章 第二十五 比丘の章

サンガ 2021年1月刊

第二回配本の第九巻には、「渇愛」を中心に据えて仏教と仏道の全体像を説く第24章と、心清らかにする聖道の完成に命をかける「比丘」を鮮やかに描く第25章を収録しました。刊行直後にサンガ出版が営業停止・破産手続き開始となったことも記憶に新しいです。(※現在、クラウドファンディングを活用した続刊の企画も進んでいます。)

●スッタニパータを読む

ブッダの「慈しみ」は愛を超える(慈経)

KADOKAWA 2012年11月刊

『スッタニパータ(経集)』は文献学的に最古の経典とされ大変重要視されていますが、実際に精読された方となると、そんなに多くないかもしれません。本書は、その経集からたった一つの短い経典『慈経(メッタ・スッタ)』を取りあげて逐語解説した作品です。二〇〇三年に協会から刊行された『慈経―ブッダの「慈しみ」は愛を越える (「パーリ仏典を読む」シリーズ (Vol.1))』の文庫版になります。「慈悲の冥想」のフレーズ「生きとし生けるものが幸せでありますように」は、この経典に由来します。スマナサーラ長老の解説は初学者にも読みやすいですが、決して甘い話ばかりではありません。最初の三偈で説かれる、「慈悲の実践」に求められる素直でまっすぐな人格を備えることができるだろうかと、たじろいでしまうかも知れません。しかしこの志の高さこそが、修行者の慢心を戒めてくれる効果を持つのでしょう。読めば読むほど釈尊の説法の巧みさに感動させられます。

「宝経」法話: Ratanasuttaṃ

日本テーラワーダ仏教協会(施本,電子書籍Kindle版のみ) 2015年12月刊

協会から刊行された施本(無料配布本)をもとにした電子書籍です。旱魃・飢饉・伝染病という三つの災害に苦しんでいたヴェーサーリーの人々を救済した逸話(注釈書による)から、『宝経(ラタナ・スッタ)』は伝統的に祝福経典・護経として重視されています。仏法僧(三宝)の徳を讃える内容で、各偈とも「この真実によって幸せでありますように」と締めくくられます。最も強調されるのはサンガ(僧)の徳で、とりわけ最初の聖者である預流果の境地について詳しいことも特徴です。「体・言葉・こころで罪を犯しても彼はそれを隠すということはしません。預流果に達した者は隠すことをしません。それゆえにサンガは勝れた宝なのです。この真実によって幸せでありますように。」(十一偈)預流果に達することは、仏道を歩む人にとって大きな目標でしょう。本書を読んで「預流果の性格」を熟知すれば、自らの心境を錯誤する危険から離れられるのではないかと思います。

原訳「スッタ・ニパータ」蛇の章

佼成出版社(単行本,電子書籍あり) 2009年6月刊

『スッタニパータ』の巻頭を飾る『蛇経』全編に注釈を加えた作品です。「修行者は、蛇が脱皮するように、この世とかの世をともに捨て去る。」のフレーズで統一された17の偈を読みながら、仏教の核心である「真理に達した聖者のこころ」について多角的に深堀します。私たち凡夫が「この世とかの世をともに捨て去」った聖者の心境を知るためには、私たちのこころにあって、聖者のこころに「無い」ものは何であるかと見出すしかありません。ですから、聖者の心境について学ぶことは、渇愛・潜在煩悩・捏造(papañca)・無明などについて学ぶ営みになります。自らのこころの汚れを一つ一つ発見することを通してのみ、私たちは聖者の心境を推測できるのです。長老は「はじめに」で、『ダンマパダ』や『蛇経』のような韻文経典は、極限まで言葉を研ぎ澄ましたブッダの「公式」だと仰います。であるならば、本書はその公式を解読するための最上の「虎の巻」だと言えるでしょう。

慈経/宝経/吉祥経 (初期仏教経典解説シリーズⅣ)

サンガ 2019年11月

テーラワーダ仏教圏でもっとも親しまれ、絶大なご利益のあるお守り経典(護経)とされる三つの経典を扱った作品です。このうち『宝経(Ratanasuttaṃ)』(上述)と『吉祥経(Maṅgalasuttaṃ)』は、過去の協会施本を底本としました。巻頭の『慈経(Mettasuttaṃ)』は、二〇一四年の朝日カルチャーセンター新宿講座の内容をもとにした書き下ろしです。長老の『慈経』逐語解説といえば、ロングセラー『ブッダの「慈しみ」は愛を超える』角川文庫が有名ですが、本書ではより実践(慈悲の瞑想)に重点をおいた注釈が施されています。第三偈まで列挙される十五の性格チェックリストと、瞑想実践による「慈悲の完成」との密接な関わりが明かされる過程はとてもスリリングです。「(三護経を)ただ意味もわからないまま、「ありがたいお経」として拝むだけでは、あまりにも勿体ないことです。法要で一般的に唱えられる護経に限らず、あらゆるパーリ経典は、どれを取り上げても正等覚者たるお釈迦様の真実の言葉であり、正真正銘の護経です。私たちがその内容を学び理解して実践することで初めて、私たちを究極の幸福である涅槃に達するまで確実に守ってくれる「護経」の機能を100%発揮してくれるのです。」(はじめに)

スッタニパータ 第五章「彼岸道品」第一巻

サンガ 2018年5月刊
①アジタ仙人の問い/②ティッサ・メッテイヤ仙人の問い/③プンナカ仙人の問い/④メッタグー仙人の問い

中村元博士の邦訳『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫)を通して、前世紀から「これこそ原始仏典」という評価が日本で定着したスッタニパータ(経集)。文献学的に再古層とされる後半箇所のなかでも、ブッダと十六人の仙人たちとの問答で名高い第五章「彼岸道品(Pārāyanavagga)」。仏教のエッセンス中のエッセンスたるテキストをスマナサーラ長老が満を持して紐解く経典解説シリーズの第一巻です。広く読まれているからこそ、皆「知ってるつもり」になっていたスッタニパータの凄みを引き出す長老の解説力は素晴らしい切れ味を見せます。ゴータミー精舎での講義のスピード感を生かしながら、初期仏教のエキスパートたる著者の緻密な加筆を経た本書は、二十一世紀の日本を代表する仏典註釈になることでしょう。思い起こすと二〇〇三年、私が長老の著作編集にたずさわった最初は『慈経(Mettasutta)』でした。慈経もまたスッタニパータ所収ですが、以来ずっと長老の本づくりをお手伝いしてきて、彼岸道品の解説書を出せたのは編集者冥利に尽きます。

スッタニパータ 第五章「彼岸道品」第二巻

サンガ 2020年3月刊
⑤ドータカ仙人の問い/⑥ウパシーヴァ仙人の問い/⑦ナンダ仙人の問い/⑧ヘーマカ仙人の問い

スッタニパータ(経集)第五章「彼岸道品(Pārāyana-vagga)」の全解説シリーズ第二弾です。彼岸道品に記録されたのは、釈尊と求道者たちの間で交わされた詩(偈)の応酬。ドータカ、ウパシーヴァなどは、釈尊を訪ねた仙人(原語のmāṇavaはふつう学生と訳されますが、彼らは超一級の知識人なので、長老は仙人と意訳している)の名前です。各問答は微妙に連関しつつ独立しているので、第一巻を読みそびれた方は本書から読み進めても大丈夫。謎解きのようなパーリ語彙解読の面白さと、自分の修行に引き寄せて読める実用性を備えた、他に代え難い価値を持つ仏教書に仕上がっていると思います。日本語は衰退しつつあるマイナー原語ですが、何百年後かに道を求める人がいたら、本書を必死で解読しようとするのではないかと夢想しつつ、続巻の準備を進めています。

ブッダに学ぶ 聖者の世界(牟尼経、悪意についての八つの詩句)

アルタープレス 2022年5月刊

現象への執着で成り立つ世俗の見方では把握不可能な聖者の心、すなわち「聖(アリヤ)」の境地を解明した作品。『パティパダー』連載を元に、第1章 聖と俗のボーダーライン――初期経典に学ぶ「聖なる世界」、第2章 聖者の生き方――『スッタニパータ』「牟尼経」を読む、第3章 聖者への道――『スッタニパータ』「悪意についての八つの詩句」を読む、で構成されています。「『聖』に達するための修行方法、『聖』に達するために理解すべきものの見方についてならば、お釈迦さまは繰り返しさまざまなアプローチで教えてくださっています。しかし、『聖』そのものについては、経典のなかでも『炎(煩悩)が吹き消されている』『〈わたし〉という実感が無くなっている』などと、否定形で語られるだけなのです。その計り知れない、語り得ないことがらについて、言語のぎりぎりのところで表現された仏説を理解するためのポイントを、この本のなかで説明してみました」(はじめに)まさに「仏道実践のゴールとは何か?」というテーマに関する決定版・本質本と呼ぶに相応しい本だと思います。

スッタニパータ「犀の経典」を読む

サンガ新社 2022年11月刊

この企画の出発点となったのは、二〇二一年一月から二月にかけて、協会YouTubeチャンネルでライブ配信されたスマナサーラ長老のパーリ経典解説です。スッタニパータに収録された「犀の経典(犀角経)」は、「犀の角のようにただ独り歩め(eko care khaggavisāṇakappo)」というフレーズがよく知られる最古層のパーリ仏教聖典です。押井守監督のアニメ映画『イノセンス』でもその一節が引用されるなど、広く人口に膾炙した経典でもあります。それだけに表層的な読みで誤解されることも多いため、初期仏教のエキスパートであるスマナサーラ長老の解説は待ち望まれていたものだと言えるでしょう。全七回の配信動画には、菊池まどかさんと関口玲さんのご尽力で日本語字幕(多言語同時翻訳対応)が付けられました。その膨大な字幕テキストをもとに、『パティパダー』二〇二一年三月号~翌年八月号に著者の加筆修正を経た記事〈スッタニパータ「犀の経典(Khaggavisāṇasuttaṃ)」を読む〉が連載され、その完結からまもなくしてサンガ新社のご厚意で単行本化が決まるに至ったのです。日本のみならず世界の経済状況が厳しさを増す中、多くの人々の慈しみの法施に支えられて、出版まで漕ぎ着けたことは感無量です。

ここまで紹介した単行本の他、『瞑想経典編』(サンガ)には『スッタニパータ』由来の「勝利経」の解説が収録されていますが、次項で紹介いたします。

●さまざまな経典(中部・相応部・増支部など)を読む

「日々是好日」経―[新版]悩みと縁のない生き方― (初期仏教経典解説) 

サンガ(単行本)2016年2月刊

中部131『バッデーカラッタ・スッタ』などに引用されている「バッデーカラッタ・ガーター」という八行の偈を解説した作品です。二〇〇九年十一月に刊行された旧版に書下ろしの最終章「自分とは観念に過ぎない」を加えた決定版です。パーリ語のバッデーカラッタ(bhaddekaratta)は一夜賢者、賢善一喜など隔靴掻痒の直訳がされていました。スマナサーラ長老はこれに「日々是好日」という禅語を当てて見事に意訳されたのです。「過去を追いゆくことなく、また未来を願いゆくことなし。過去はすでに過ぎ去りしもの、未来は未だ来ぬものゆえに。現に存在している現象を、その場その場で観察し、揺らぐことなく動じることなく、智者はそを修するがよい。」過去への執着と未来への不安を乗り越え、今を生きる仏道、そしてその「今」さえも乗り越えて「無執着」に達する覚者の生きかたが力強く語られた金言です。本書で偈の意味を理解したら、ぜひ暗誦するまで日々念じてほしいと思います。

怒りの無条件降伏―中部経典『ノコギリのたとえ』を読む (「パーリ仏典を読む」シリーズ)

日本テーラワーダ仏教協会 2004年7月刊

中部21『鋸喩経(カカチューパマ・スッタ)』を全文解説した作品です。怒りに囚われてトラブルを惹き起こしたある比丘に向けて、お釈迦さまは徹底した「怒りの克服」と「慈悲の実践」を説きました。たとえ盗賊に捕まって、生きたままノコギリで身を切られたような目に遭っても、相手に怒りを抱いてはいけないよ、という壮絶な喩え話がタイトルとなっています。出家者に対する説法ではありますが、経典のなかで語られる貴婦人と女奴隷のエピソード(いつもは温和な人であっても不快な言葉に接することで怒りに駆られてしまう危険性を説いた逸話)、他者から投げかけられる様々な批判の言葉への対処法、慈悲の冥想で体得すべき「大地のような心」「虚空のような心」「大河のような心」の解説など、時代や立場を超えた怒りの克服、慈しみの成長のありかたが懇切丁寧に説かれています。「怒らないこと」こそ、仏弟子にとって重要な修行なのだと学べる一冊です。

瞑想経典編 (初期仏教経典解説シリーズII)

サンガ 2013年2月

施本として頒布された長老のパーリ経典解説から、冥想に関する5つの作品を加筆修正のうえまとめた選集です。①中部117『大四十経』を扱った『八正道大全-ブッダの「偉大なる四十の法門」』では、八正道の実践によって解脱に達するプロセスが詳述されています。②『瞑想による覚りへの道 お釈迦様のお見舞い』では、相応部六処篇『疾病経』(一)に基づいて、釈尊が病気の弟子たちを見舞った際の冥想指導を学びます。③『勝利の経』は身体の「不浄」を観察する経典で、『スッタニパータ』に収録されています。④『常に観察すべき五つの真理』は増支部五集より。老・病・死・愛するものとの別れ・業という五つの真理を念ずる冥想経典です。⑤『サッレーカ・スッタ 戒め-「自己」の取扱説明書』は、中部8『削減経』の解説。44の道徳項目を念じて自己を戒める冥想実践が詳説されます。スマナサーラ長老は本書の冒頭でこう記します。「渇愛を破る(原始脳に勝つ)方法は、八正道です。八正道の実践はいろいろな方法でできます。今回紹介する五つの経典でも、結局説かれているのは、八正道の実践なのです。」仏道の一貫性を多様な語り口で学べる充実した作品です。

その他、単行本化はされていないものの、施本で刊行された経典解説がいくつかあります。『偉大なる人の思考 Mahā purisa vitakka』は増支部八集アヌルッダ経の解説。お釈迦様の教えとその覚りのエッセンスが凝縮された、少欲、知足、遠離、精進、気づき、禅定、智慧、不戯論(パパンチャを破る)という八項目に関する説法です。『仏道の八不思議 お釈迦様の教えの特色 pahārāda suttaṃ』は増支部八集パハーラーダ経の解説。これは仏教の優れた特徴を八項目掲げる「仏教の自己紹介」のような経典です。両著とも在庫切れですが、日本テーラワーダ仏教協会ホームページでPDFファイル等の形で公開しています。書名で検索してみてください。現在も頒布中の『サンガーラワ経 能力を奪う五蓋と智慧を完成させる七覚支』と『預流果(最初の覚り)に至る条件 ~ブッダと在家信者との対話~ マハーナーマ経』はいずれも相応部大篇に収録された経典の解説本です。表題のとおり、五蓋、七覚支、預流果について理解するためには必読でしょう。

サンユッタニカーヤ 女神との対話 第一巻

サンガ新社 2022年1月刊

2021年1月に倒産したサンガの元社員が復活させた「サンガ新社」の出版企画第一弾。相応部有偈品女神相応(Devatāsaṃyuttaṃ)を解説したスマナサーラ長老の法話選(初出:『パティパダー』巻頭法話)です。クラウドファンディングで事前予約を募り、目標額を大きく上回る金額を調達しました。真夜中に光を放ちながら釈尊を訪ね、風雅な詩の形で様々な質問を投げかけたり、自説を発表したり、時には論争を挑んだりする個性豊かな女神たちに対して、智慧のことばで当意即妙に応じる釈尊。少々、神秘的な舞台設定ではありますが、そこには初期仏教のラジカルな神祇観(神的存在についての見方)が反映されているのです。また、ジェンダー平等の理念など微塵も存在しなかった古代インドに、女性の神々が自由で知的な思想を巡らせ、正等覚者とも気後れせずに堂々と対話する様子を記録した経典の現代的な意義は大きいと思います。パーリ語原典の詩偈は断片的な形で残されているため、解釈の余地が大きい面もあります。本書ではスマナサーラ長老の新解釈も随所に提示されており、ブッダの教えを人生に役立てたいという一般読者から、文献学的な謎解きを楽しみたいコアな仏教書好きまで満足できる一冊だと思います。

つらい心がほっこり癒やされる ゆるねこ×ブッダの言葉

インプレス 2021年2月刊

かわいらしい子猫の写真にダンマパダやスッタニパータ、中部経典、相応部経典などからやさしく意訳したブッダの金言&コラムを組み合わせたスマナサーラ長老監修の人気シリーズ「こころおだやかにニャる ゆるねこ×ブッダの言葉」カレンダー(2018年~2021年)に、書き下ろしコラムなどを追加したフォトブックです。「ブッダの言葉と猫という組み合わせは、私には自然なものに感じられます。祖国スリランカのお寺にはたくさん動物がいましたが、部屋の中まできて親しく付き合ったのは猫でした。日本に来てからも、身の回りにいつも猫がいました。猫は私を仲間だと思うようです。散歩に誘ってきたり、悩みや苦しみを話してきたり、勉強をサボっていると叱りにきたりする彼らに、私も仲間として接しました。いま説法会をしているゴータミー精舎にも、代々の寺猫がいます。仏教の真理を説明するために、猫の話をすることもしばしばです。猫は人間から愛情を引き出す天才です。ブッダの教えは、その愛情を清らかで広大無辺な「慈しみ」へと進化させてくれます。誰もが気軽に読むことのできるこの本で、疲れがちなみなさまの心を急速充電していただければ幸いです。」(はじめに)という言葉どおり、ページを開くたびに心がほっこり暖かくなる内容です。筆者は本書を教材にした「ゆるねこ仏教オンライン講座」をYouTubeで公開してますので、よろしければ御覧ください。

●長編の経典(長部経典)を読む

沙門果経―仏道を歩む人は瞬時に幸福になる

サンガ 2015年3月刊

長部2沙門果経は、お釈迦様とマガダ国のアジャータサットゥ王(阿闍世王)との間で交わされた実際の対話を記録した経典です。「王様とは政治家ですから、宗教や哲学などを深いところまで学ぶ暇がありません。そういう人にも納得いくようにお話しした内容なので、我々にも理解しやすいと思います」という長老のコメントにもあるように、次はどうなる?と読者が感情移入しやすいドラマ仕立てになっています。冒頭はこうです。ある満月の夜、侍医ジーヴァカの勧めでブッダと面会した阿闍世王はこう質問します。俗人は各自の職業から報酬を得て、自分と家族や友人などを幸福にし、死後の幸福のため沙門バラモンに布施をする。沙門についても、同じく現世における目に見える果報を示せるのだろうか、と。そこから前半部では、六師外道と呼ばれた諸師、釈尊が特に強く批判したマッカリ・ゴーサーラ、仏教と兄弟宗教とも言われるジャイナ教の開祖ニガンタ・ナータプッタなどの教えが解説されます。闍世王は釈尊に先立って、彼らと会って失望していたのですね。古代インド思想概説のような前半に続き、後半は阿闍世の問いにいよいよ釈尊が答えます。沙門の第一の果報とは、奴隷身分あるいは農夫身分の者でも、沙門となれば王者の尊敬をも受けること。さらに優れた果報として、五蓋を除去し禅定の楽に達することなどを挙げ、最上の沙門果は「解脱」であると結論づけます。説法を受けた阿闍世は三宝に帰依し、父王ビンビサーラを殺した罪を告白するのです。日本でも有名な「王舎城の悲劇」の後日談としても読める『沙門果経』は、巧みな構成に導かれて「仏教」の全体像を掴める必携の一冊だと思います。

成功する生き方 「シガーラ教誡経」の実践

KADOKAWA 2012年9月刊

長部31『シガーラ教誡経(シンガーラ経)』はお釈迦さまがシガーラ青年に対して在家信者の生き方を懇切丁寧に説かれた経典で、『六方礼経』の名でも知られます。その全編にスマナサーラ長老が解説を加えた経典講義です。二〇〇八年に国書刊行会から出た『ブッダの青年への教え―生命のネットワーク『シガーラ教誡経』』文庫化のつもりが、作業過程でほぼ全文書き下ろしになりました。講義録のようなライブ感が魅力の底本に比べて、訳文を含めてより正確かつ明快な内容に生まれ変わっています。いわゆる「成功哲学」は世の中にごまんとありますが、本書は正覚者によって説かれた「成功哲学」の決定版と言えるでしょう。個人として守るべき道徳、六つの方角として示される人間関係の極意、身の回りの社会を住みやすく笑顔に満ちた環境に整備していくために自分は「社会人」として何をすべきか、現代人がこの古典から汲み上げることのできる智慧は無尽蔵だと思います。

大念処経 (初期仏教経典解説シリーズ) 

サンガ 2016年1月刊

長部22『大念処経』は、「衆生にとって、(心の)清浄に達するための、愁い悲しみを乗り越えるための、苦しみと憂いが消えるための、正理を得、涅槃を目のあたりに見るための唯一の道である」四念処の実践をテーマにした長編経典です。身体、感覚、心、覚りに関わる真理(法)という四つの側面から「気づきを確立する」実践法が順々に説かれますが、長老が特に力を入れて解説しているのは「法の観察」セクションです。五蓋、十二処、十種類の束縛、七覚支、四聖諦、といったお馴染みの仏教用語が、ここでは気づきの冥想の対象として立ち現れてきます。いわば、これまで知識・概念として学んできた仏教用語を「覚りの触媒」として用いるための実技練習が展開されるのです。本書は仏道実践(bhāvanā)に励む善男善女にとって必携なのは勿論、修行をさぼっている人のやる気を引き起こし、門外漢をも「如理作意」の世界へと誘ってくれる最上の筏【いかだ】のような作品だと思います。

●番外編:大乗経典(仏典)も読んでみる

般若心経は間違い?

宝島社(電書 Evolving)2007年8月

「色即是空、空即是色」のフレーズで知られ、最もポピュラーな大乗経典として写経に読誦にと大人気の『般若心経』に対して、初期仏教の立場から厳しいツッコミを入れた問題作です。刊行以来、賛否両論を巻き起こしてきました。般若心経の内容については当然批判的な読みになります(同経における「空」理解の非論理性や呪文信仰への批判は強烈)が、同時に五蘊・十二処・十八界など般若心経に登場する仏教用語を使ったオーソドックスな仏教概論も展開されます。
後半では、パーリ経典に登場する「空」の解説と、空の同義語である「無我」を説いた相応部経典が紹介されます。「生まれるのは苦である。あるのも苦である。消えるのも苦である。苦以外生まれるものはない。苦以外消えるものもない。」ヴァジラー比丘尼が語るその悟境の清々しさは感動的です。般若心経への批判をとっかかりとして、初期仏教のエッセンスを見事に伝えてくれる名著だと言えるでしょう。
評論家・宮崎哲弥氏が2007年の新書ベスト3に選出するなど(『中央公論』2008年3月号)、仏教書に造詣深い読書人にも評判の高かった作品です。後にスマナサーラ長老と対談するアルファ・ブロガー小飼弾氏も「私が今まで読んだ中で、私が最も納得が言った般若心経本」(404 Blog Not Found)と絶賛していました。

ブッダに学ぶ ほんとうの禅語

アルタープレス 2020年1月刊

「一期一会」「天上天下唯我独尊」「日日是好日」「隻手音声」「百尺竿頭須進歩」など、よく知られる数々の禅語を長老が料理します。かつて臨済宗の老師が「禅語というて特別なものがあるわけではない。わしならば聖書でも毛沢東語録でも提唱(禅の講義、説法)に使える」と豪語したそうです。実際、禅語には仏典以外の言葉が多いです。ならば、長老に初期仏教の視点で禅語を提唱してもらったらどうなるだろうか、と思ったのが企画の発端。
〈禅の言葉〉は、あいまいで一見謎めいているため、ともすると各人の勝手な解釈によって、まったく仏教本来の教えと異なる意味にとられてしまうことがあります。禅の修行者たちがこれらの言葉に込めたもともとの思想はどんなものだったのか? ユーモアたっぷりの長老のお話をガイドに謎解きします。
取り上げた30以上の禅語には墨書が添えられています。揮毫してくださったのは、日本テーラワーダ仏教協会の会員でスマナサーラ長老との交流も深い垂見麗琇さん。気迫のこもった書の力も作品の魅力になっています。
ちなみに、本書で長老が道元禅師について論じた箇所について、曹洞宗宗務庁から版元に抗議文が届くという事件も起きました。仏教業界誌『月刊住職』2020年10月号にて「曹洞宗が日本テーラワーダ仏教協会僧侶の本に抗議!」という記事になったほどです。以下の動画で簡単に解説しました。

おわりに

初出記事に増補改訂をほどこした結果、12,000文字を超える長文になってしまいました。今後も、新刊が出るたびにアップデートしたいと思います。スマナサーラ長老のパーリ経典解説は協会YouTubeチャンネルで継続的に動画配信されており、アーカイブは90タイトル以上にのぼります。再生リストへのリンクから、ぜひ御覧ください。

初出:『パティパダー』2016年10月号 特別連載「アルボムッレ・スマナサーラ長老の著書をたどるーー長老のパーリ経典解説本を読破する」佐藤哲朗
※増補改訂:2023年1月28日,加筆:2023年2月10日

~生きとし生けるものが幸せでありますように~

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佐藤哲朗(nāgita)
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