進化した兄と弟の夏

この夏、5歳の長男ともうすぐ2歳の次男を連れて、2週間ほど実家に帰省した。
今の住まいから実家までは、電車と飛行機をつかって5時間くらい。

子どもたちがもっと小さいときはこの移動時間が恐怖だったけれど、
まあ今も恐怖には違いないのだけれど、
長男はもうだいぶヒト型だし、次男はiPhoneでアンパンマンを見てしばらく時間をつぶせるようになったので、ずいぶん楽になった。

そして!
夏休みシーズンの移動の醍醐味といえば、飛行機の子連れ搭乗率の高さである(子育て中の身からすると、という前提つきです、あしからず)。

優先搭乗のタイミングで、あっちでもこっちでも、待ち時間に飽きちゃって水揚げしたてぴちぴちさながらにぐわんぐわん暴れている幼児や、プライドがあるので大きな声では言わないけれど果てしなく文句を言えちゃう年長・小学校低学年あたりの子どもたちを連れた親が、
「待ってたよ・・・」
とちょっと疲れた顔で立ち上がり、よろよろ集まってくる。

安心する。心強い。最高!
勝手にシンパシーを感じ、強い連帯感(一方通行かも)を味方に飛行機に乗り込む。離陸して、次男が寝てしまえばこっちのものである。

***

わたしの住まいは関東だけれど、フリーランスになってから、地元でコミュニティスペース 兼 レジデンス 兼 宿をやったり、あたらしい事業を作ったり、あたらしい事業を作りたい人たちを応援したりしている人たちの仲間に入れてもらった。
なので、実はたまーにひとりで帰省して、その宿に一泊して地元の仕事をしている。

その間、夫が子どもたちの面倒をみている。
だいすきな「ばーばの街」にわたしがひとりで行っていると知ったら最上級の癇癪をおこしそうな長男には、行先は言っていなかった。

この夏、その仲間たちとの会議や、コミュニティスペースと宿の部分の清掃当番のとき、長男だけ連れて行った。

大人になるまでに、そういう記憶がすこしずつ積み重なっていくと素敵だなと思ったからだ。
自分の親が、年齢も性別もばらばらな、なんだかよくわからない自由なひとたちと、楽しそうに仕事なのか趣味なのかよくわからない営みを続けていて、その営みによって笑顔になるひとたちもいる、そういう現場を目撃するという体験。

最初に連れて行ったとき、長男はぴーんと来たようだった。
「え、ママ、まさかお仕事でいない日に行ってたのはばーばの街で、ここに来てるってわけじゃないよね・・・。」

よくわかったね・・・。
今後どうしようか。そうなったらそうなったで、そのとき考えようか・・・。


そのあと徐々に集まってきた仕事仲間は、
二十代の男性が2人、三十代半ばの男性と女性1人ずつ、
そして三十代後半の男性が1人。

みんな長男をかまってくれるし、なんというか、周囲に対しても自分に対しても嘘のない、率直で気持ちのいいひとたちなので、長男もすっかりリラックスして、飽きることなくカンチョーを繰り出した。

「おとこは全員そこにならべーっ!」

と世紀末っぽいことを叫んで、順番にカンチョーしていき、
最終的に三十代後半の男性(うちの会社の代表)を、

「こいつはもうだめだ!」

と叫んで部屋から追い出していた。
ちなみにカンチョーは、

「おんなは許す!」

とのことで、見逃していただけました。

***

実家に帰る前からなのだけれど、この秋2歳になる次男は、毎朝日の出と共に起きる。

まだ薄暗い部屋のなか、ふと目を開けると幼児と目があう、あの恐怖よ・・・。いろんな意味でかなりホラー。
4時半などに起きてももう寝ないので、どうしようもない。
わたしは慢性的に寝不足である。

しかーし!
実家には、同じくらいの時間に起きるじーじという強い味方がいるのだ!

じーじは毎朝4時半すぎにわたしから次男をパスされ、毎日朝の散歩に行っていたらしい。

田舎なので、夏は日中より早朝のほうが人手が多い(畑仕事をするため)。じーじは、
「かわいいお孫さんですね~。」
とか、
「わあ、よく似てるわ~。」
とか言われて、かなり嬉しそうだった。

そんな日が一週間くらい続き、朝起きると次男は、
「じーじ、ぽ(さんぽ)、こ(いこ)。」
と言うようになり、ばーばはかなり悔しがっていた。

そういえば、毎朝どこを歩いているのかなと思ったら、
近所に山羊を飼っている場所があって、そこに子山羊たちを見に行っていたとのこと。

山羊か~、いいな~、山羊を飼って雑草を食べてもらって、お乳をもらう生活、やってみたい。

最近、家庭菜園をはじめるとか、にわとりを飼って卵を産んでもらうとか、そういうふうに家庭内自給率をあげていくことに興味があるのだ。
食料自給率が・・・とか、無農薬の野菜を・・・とか、そういう高尚な理由からではなく、なんとなく、本能的にやってみたい。

でも、家庭菜園はまあいいとして、
家畜を飼うということは、最後まで面倒をみるというのはもちろんだけれど、絞めて食べるということもできなければいけない気がする。

それで、ずっと踏み出すことはできないままに、いいないいなと思っている。

***

8月最終日、長男に、誰が好きか、と聞いてみたら、
「一位はふうくん(次男の呼称、仮名)、二位はママ。」
とのことだった。

パパどこ行った?と一瞬思ったけれど、パパ不在の日だったので特に突っ込まなかった。

それより、一位が弟であることに感動した。

初春のころは、
「あーあ、ふうくんが産まれるまでは幸せだったのに。ふうくんが産まれて、全部だいなし。」
と独り言(と見せかけた、わたしへの訴え)を言っていたのに。

次男のほうも、そんな愛を感じてか、最近やけに兄がすきだ。
だいすきだ。

保育園にお迎えにいくと、うれしそうに、まっさきに兄がいる部屋に、
「にーにいいい。」
と叫んでかけていく。
おいしいおやつは兄に分けに行く。
兄がいるところどこにでもついていく。

兄と弟になってきたんだなあ。

そんな夏のおわり。

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