生活のなかの踊り、そして歌
さいきん気づいたのだけど、もうすぐ二歳になる次男は、踊るようにあるくことがある。ちいさな足を踏み鳴らし、膝をまげてリズムをとって、ぱたぱたとすすみ、まわり、笑う。
ああ、この子はいま、うれしいんだなあ、とわかる。
あるくことが、今ここにいることが、この世界で生きていることが。
この子は、そういうときに、自然とからだが動く子なのだと思う。
今日は、保育園の門のまえで、すこし高いところを走る電車がみえて、
「でんた!でんた!」
と指をさして、うれしくてしかたがないといったふうに、足を鳴らしてぱたぱた走り、膝をまげてたたたっとリズムをとって、わたしを振り返った。
***
いま年長の長男は、のぼること、もぐることがすきだ。
うれしいときに、よろこびにひたされたときに、自然とからだが動く、ということはあんまりない。
でも、注意深く歌をうたう。
わたしが車を運転しながら、藤井風やYOASOBIや米津玄師やスピッツをかけると、メロディーを知っているところだけ、注意深くハミングをする。
メロディーに乗せられていることばもちゃんと聞いているようで、でもそれがどんな世界をあらわしているのかイメージするのはまだすこし難しくて、
「まま、これはなにを歌っている?」
と聞かれることが多い。
わたしは、この子のやわらかい粘土みたいなこころの世界に、わたしという人間のかたちを残すことが怖くて、説明をするかしないかいつも迷う。
迷うけれど、ことばがあらわす世界も、踏み込むための道しるべみたいなものが必要かもしれない、とも思う。それは、わたしのエゴかもしれない。
そう思いながらも、ままはこう思うけど、どうだろう、いろんな受け取りかたがあるからね、とこたえてしまう。
そうすると、彼はふうん、と言って、また歌う。注意深く。
ひととおり歌えたら、満足そうな表情をうかべ、息をつく。
この子は、やっぱりのぼること、もぐることが好きなのだと思う。
***
わたしはいま、生活のなかに踊りと歌がある生活をしている。
それは子どもたちの「いま」このときのよろこびや探求のこころと共にあって、いずれかたちをかえて、わたしの生活のなかから姿をけしてしまうもののようにも思う。
はやく本を読みたいな、とか、
はやく仕事にもどらなきゃ、とか、家事をやっつけてしまおうとか、
そんなことを考えているうちに過ぎ去ってしまうものたちだから、そっとnoteに書き留めて、また目を凝らし耳を澄ませます。