見出し画像

ちょい読み 2025/ 1/19



昨日読んでいた『人間のすべてをあらわす占星術』に、達磨大師の話が出てきましたので、大師のお顔の絵が表紙となっている本を。

・ 『夜船閑話』 白隠禅師 著 ・ 高山峻 訳(大法輪閣 1943)

本書は一言でいえば「内観」のすすめを説いている。
体の内側を覗きこみ、
体の奥にうごめく心を両手で掴み出すことを提案する。

一般には『夜船閑話』は禅の健康法を説いた名著といわれ、
古来、「気海丹田法」のバイブルのように扱われてきた。
そういう面もある。いや、ほとんどそのような体裁の本に見えるのだが、
読んでいくうちにそんなことを超えた心境になっていく。
実用書としては道教の内観治癒を説き、
心用書としては白隠の内観哲学を説く。そう、読めるのである。

731夜 『夜船閑話』 白隠 − 松岡正剛の千夜千冊

自分の知っている範囲で事を処理し決して人の説をいれようとしない。
そしてその人は自説が最も善いものと頑なに自己信頼をしている。
しかし一方よくよく考えてみれば
この人々の思想の貧弱さには気の毒になることがある。

『夜船閑話』 漢洋医学の融合 P. 93

うとうとしながら読んでましたが、この内容に心当たりがあり、
目が覚めましたので、少し頁を戻してから、また読み進めました。

富岡鉄斎氏は
白幽子の居住所であった白河山中の巌窟の前に一基の石碑を立て、
これに「白幽子」は名は慈俊、石川丈山の弟子、石川克の弟なり」
という字を刻んでいる。
(・・・)
白隠禅師が教えをくるほどの神仙でも学者でもなかった事は
ほぼ事実とみる事ができる。

『夜船閑話』 漢洋医学の融合 P. 91

訳者の推測としては、「白幽子」=「慧極老和尚(泉州)」。

せっかく富岡鐵成の名が出ましたので、そちらの本へ。
あまり開く事がないので、良い機会。
『鐵斎大成 第1巻』だけ持っています。正4巻の、続1巻ものです。
内箱含めて5~6kgあります。
29-60歳頃の水墨画がおさめられています。


・ 『鐡斎大成 第1巻』 富岡鐡斎(講談社 1976)

    編集:小高根太郎・鶴田武良ほか 
    監修:富岡益太郎・小高根太郎・坂本光聰


 中国では伝統的な絵画についてのエヴァリュエーション(評価)の基準がきっちり決まっています。その基本は「神品」「妙品」「能品」という3段階なんですね。神・妙・能。この順番に褒めることになる。けれども長きにわたった五代十国の混乱期をこえて宋代に入ってくると、この3段階にまして秀れた作品が次々に出てきた。董源(とうげん)とか巨然とか馬遠とか夏珪とか。
 かれらの画技は「神・妙・能」から逸脱しているのだけれど、
ハッとさせられたり、うーんと唸らせるものがある。
そこで「逸品」という評価が生まれてきたんです。
それが表現者の人物の独特な格調ももっているというので「逸格」という
ふうにもなっていった。鉄斎は破格というより、この逸格というべきです。
(・・・)
 鉄斎は生涯を通して万巻の書を読むことを理想としています。
それを死ぬまで貫いた書画人であり、卓越した文人でした。
鉄斎が描いた画題はすべて儒学や仏法のテキストに倣っているし、
神仙思想や幾多の故事来歴にもとづいているのです。
クラシック音楽の楽譜のようにね。
つまり鉄斎は仏道・儒道・神道・神仙道に忠実なのですよ。

 けれども鉄斎は行動者というより表現者です。
おそらく陽明学を外に向けないで、内に込めたんだと思います。
座して天下を知るほうです。だから鉄斎の思想は「読書思想」であって、
そして鉄斎の芸術は「読書芸術」なんです。
こういうアーティストはいまではたいへんめずらしい。

1607夜 『鐡斎大成』 富岡鉄斎 − 松岡正剛の千夜千冊

鐵斎の水墨画は、正直言いまして、ピンときてないのですが、
正剛さんがベタ惚れなので、眺めております。

その後、しばらく『夜船閑話』を読み、『占星術』に立ち寄る。


・ 『人間のすべてをあらわす占星術』 松村潔 著(2024)

こちらは妻に見つからないように、少しずつ読みます。

それでは、夢でお会いしましょう。