吝嗇(りんしょく・ケチ)と享楽の間で☆
私がバブル世代ということもあるのかないのか、若い時代にごちそうされる機会が多かったように思います。
今よりは、額面の給与は絶対的に少なかったはずなのに、私も、自分より後輩に、よくごちそうしていました。
給与の額面は、それぞれの年代の断層面において、かつてより、多少なりとも増えているのではないかと思いますが、税金と社会保険料(特に、健康保険料と厚生年金保険料)が増えている分、手取りが減少しているのではないかと思います。
また、家庭をお持ちの世代ならば、強く感じられるとは思いますが、①住宅費(住宅ローン含む)、②教育費(学校外教育費含む)の値上がりには相当なものがあり、これも生活を圧迫しているのではないかと思慮します。
そんなこんなで、30数年、社会人をやって来ましたが、結構、後輩などにはごちそうしてあげてきましたよ(傾斜負担も含む)。
私は、職場の予算を使うこともなく、自腹で、支払っていました。
ただ、いつもだと、ごちそうすることによる自身の経済的側面からの持続可能性がなくなるので、端数分を多めに払うなどの傾斜負担を活用することも多かったです。
ちなみに、かつては、全部を出していたこともあったのですが、いつも全部出していると、どういうわけか、相手はそれを当然に思ってしまい、逆に感謝の気持ちがなくなるような気がしたので、端数を持ち、多めに払うなどの傾斜負担のケースが増えたという事情もあります。
※不思議なことに、こちらの方が、相手も気持ちの負担感がなく、逆にスッキリするみたいです。これは人情の面白いところです。
私は、お酒はほとんど飲みません。今で言うところの「ソバーキュリアス」というスタイルが性に合っています。
※ソバーキュリアス…「酒は飲めるけれど、あえて飲まない」という生活スタイル。Sober(しらふ)とCurious(好奇心が強い)という英単語を組み合わせた造語。
お酒は「百薬の長」とも言いますが、どうしても自身の許容量よりも飲み過ぎてしまい、翌日以降、ダメージが大きくなってしまうのです。あれって、マジで、脳細胞がやられていると思いますよ(いろいろと読書を重ねるうちに、どうもそうらしいです。)。
お酒を含むだと、金銭的に高額になってしまいますが、お酒を飲まない選択だと、ごちそうしても、スゴい痛手にはなりません。
お酒が出ない前提のランチなどの活用で、ごちそうする機会を設けていますが、今のおじさんは、一般的に懐事情がよろしくないのか、ごちそうする人は少なくなっているみたいですね。
「人生には、それなりに楽しみがあっていい。」と思っていますので、仕事の中にも、楽しみを見つけ、特に、食事などをすると、何だか仲良くなりますから、面白いですよ。
※「食事に行こうよ。」=「友達になろうよ。」という意味ですよ。
私は、他人には指摘しませんが、「吝嗇」(ケチのこと)が好きではありません。お金を貯めるのも好きですが、貯めたら、結構、使ってしまいます。何でかって言うと、「人生は楽しむ必要がある。」と思っているからです。
もちろん、結構、人生には厳しい局面はありますよ。でも、その中でも、小さな楽しみを見出していく、それが必要だと思っています。私は、食べるのが好きなので、それが食事会につながっているのですね。
かといって、「飲めや、歌えや」のどんちゃん騒ぎをするなどの「享楽」的な生き方も好みではありません。要はバランスなのです。
不思議なことなんですが、端数を持つなどの傾斜負担を心掛けていると、運勢も良くなってくるような気がしています。これだったら、自分にもできると思いませんか(^^)/。
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