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「頑張れない」か、「頑張らない」か?

 私は、どちらかと言うと、「仕事ならば、何が何でもやらねばならない」とか、「お給料をもらっているんだから、当然」とか、という感覚が希薄でした。

 特に、「給料をもらっているんだから」という感覚は希薄な方で、「給料はもらっているけれど、いわゆる人権侵害までは御免被る」くらいの感覚で、仕事をして来ました。

 ただ、「給料泥棒」にはならないように、自分の専門性を高めるために、むしろ周囲のゼネラリスト志向を疑問視して、勉強だけは欠かさずにして来ました。

 私の勉強習慣は、大学までの素養はあったにせよ、実は、社会人になってからの方が、ずっと勉強して来たような気がします。

 そういう意味では、こと専門性を高めるような勉強に関しては、「頑張って来た」方だと思いますが、義務を果たすことや仕事への忠誠心に関しては、あんまり「頑張って来なかった」方だったかなと思っています。

 特に、興味の強くないことを強いられることに拒否反応が強く、それでもやれと言われると、もしかすると逃げてしまう方だったかもしれません。

 とはいえ、同じ職場で、30数年やって来れたのは、何はともあれ、それなりに「頑張って来た」証左なのかもしれません。

 私は、完璧主義者では決してありません。

 と言うか、完璧主義と聞くと、「それ、マジで言っているの?」と感じてしまうくらいです(>_<)。

 どういうことかと言うと、「完璧」は「神の領域」であると考えているため、人間がどんなに頑張っても、「完璧のなにがしか手前で止まる」ことを認識しているからです。

 私は、仕事の取りかかりは早い方ですが、いつも、「少し雑」と言われます。

 いろいろな本で読みましたが、「完璧主義者が完璧を期す余り、仕上げに時間がかかり、報告も遅れ、引いては、提出したものも、周りが意図していたものと異なる」ということが、ままあるというのを、学習していたせいでもあります。

 大学入試でも何でもそうですが、満点で合格した人なんていないのです。

 時間の制約のある中で、合格基準点を突破する競技なんですから、合格基準さえクリアすればいいのだろうと、日頃の業務でも考えていた節があります。

 つまり、仮に、至らぬ点があれば、早めに提出しているのだから、速やかに修正すればいい、それでもダメだったら、さらに修正すればいい、そうして、精度は高められていくのだと感じていたように思います。

 自分では、「合格点主義」と思っていましたが、周りには、「ツメが甘い」と思われていたかもしれませんね。

 「給料のため」であれ、「専門性を高めるための勉強」であれ、ガツガツやるのには、少々くたびれて来てしまいました。

 何だかんだ言っても、それなりに「頑張って」来ましたが、もうその旗印は降ろそうかなと感じるようになりました。

 「頑張れない」というわけでは必ずしもないです。

 「頑張らない」という言い方の方が適切のように感じます。

 日本人は、スポ根漫画ではありませんが、「努力・根性」がやたら好きな民族のように思います。

 努力も根性も、人生を生き抜いて行くには必要不可欠なものと思いますが、ちょっとばかり疲れました。

 少々の気負いを取り外して、合格基準点のハードルも下げて、あえて「頑張らない」生き方を選択してみようかなと思っています。

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