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「4〜6をどのように見積もるか」問題

「教える」はなかなかに難しい。一から十まで伝えてしまっては考える余地がなくなる(と思ってしまう)し,だからと言って,一しか伝えなかったら,相当の天才でない限り,何もできないままであろう。

なので,個人的には4〜6くらいを伝えるのがちょうどいいと思っているが,この4〜6をどう見積もるかという問題がある。僕が5だと思ったことが,相手にとっては2のこともあるし,反対に8のこともあるかもしれない。ちょうどいい「5」がなかなか見つからない。ここには結局,「他者理解」が関わっているのだと思うけど,それは一旦置いておいて,「4〜6をどう見積もるか」問題についてだけ大学教員駆け出しの若手として考えてみる。

なお,ここでは,自分が教える(伝える)側として考えを整理していくこととする。

自分にとっての「5」と相手にとっての「5」

自分にとっての「5(4〜6)」と相手にとっての「5(4〜6)」がずれている一つの要因は自分の「10」と相手の「10」がずれていることにあるのだと思う。

自分にとっての「10」とは達成目標である。教える側として「ここまで達成してほしい」という願いや希望,目標が「10」になる。なので,「ここ10に到達するためには最低でも”ここ”までできて欲しい」という”ここ”がだいたい「5」になるのであろう。

たとえば,「卒論を仕上げる」という目標の場合,以下のステップがあると考えられる(心理学の場合)。

(1)問いを考える
(2)問いについての先行研究を調べる
(3)先行研究を整理する
(4)先行研究に基づいた問いへと整える
(5)(4)の問いを研究できる方法を調べる
(6)研究方法の大枠を決め,具体化していく
(7)研究を実施し,データを取得する
(8)データを整理し,分析する
(9)文章の書き方を学ぶ
(10)卒論を書き,仕上げる

これより細かいステップを考えることもできるだろうし,どこかのステップ同士をまとめることも可能であろう。とりあえず便宜的に10ステップにした。

これで言うと,教える側の「10」は(10)に相当する。なので,「5」は研究方法を調べたり,考えたりすることにあたる。だから,教える側は「研究方法を考えてきてほしい」と思うし,その具体的な形として「研究計画書を書いてきて」と伝える。そうすれば,卒論生が,(4)先行研究に基づいてどのような問いを設定しているかや,(6)具体的な研究方法をどのように考えているかを把握できる。

でも,教えられる側(この場合,卒論生)としては,「卒論を仕上げる」は確かに目標ではあるのだけど,「研究計画書を書いてきて」と伝えられたら,それが目標になる。そもそも「卒論を仕上げる」を具体的な目標として設定できる,つまり上記の10ステップを見通せるのであれば,教える側がすることはあまりない。

要するに,教える側が「5」(研究計画書を書く)だと思っていたことは,教えられる側にとって「10」である。そして,「10」を完璧にこなせることはなかなかないので,教える側から見たら(2)や(3)くらいまでしか達成できていない,つまり「5」どころか「2」〜「3」しか達成できていないというすれ違いが起こる。

「天才は教えることが下手」とか「本当に頭の良い人はバカにもわかりやすく教えられる」などの言説があるが,これは,教える側が教えられる側の「10」をどのように設定しているかに起因しているのかもしれない。すなわち,自分が考える「10」と相手にとっての「10」が同じかどうかを判断し直す機会があるかという問題が隠れている気がする。

相手の「5」を見積もる方法

自分にとっての「10」と相手にとっての「10」が同じかどうかを判断し直し,相手にとっての「5」を見積もる方法としては,先に挙げたように,自分にとっての「10」を段階化する方法があると思う。

たとえば「卒論を書く」(目標)で考えてみると,以下。

1. 目標までの段階化
「卒論を書く」ためにはどのような道のりを進めばいいのかという段階を考えていく。

2. 段階の俯瞰視
段階化の中で,自分の考えていた「10」に達するためには思いのほか踏むべき段階があったことに気づけるかもしれない。たとえば,教える側にとっての「5」が,教えられる側にとっては「5」ではないことにも気づくかもしれない。そこで,教える側にとっての「5」を,教えられる側にとっては「10」と仮定してみれば,教えられる側の「5」を推定することが可能にある。

3. 段階の調整と実行(くりかえし)
先の「卒論を書く」ための10ステップで言えば,教えられる側の「10」(教える側の「5」)は,「問いを研究できる方法を考える」であるので,教えられる側にとっての「5」は,「(2)問いについての先行研究を調べる」あるいは「(3)先行研究を整理する」であろうと見積もることができる。なので,ここに水準を合わせて教えていくことができるであろう。

もし,この推定が外れたとしても,つまり教えられる側の「5」だと思っていたことが意外と達成されなかったとしても,そこを基準に新たな段階化を行えば,相手の「5」を見積もることは可能であろう。

たとえば,教えられる側の「5」だと思っていた「(2)問いについての先行研究を調べる」が達成できなかった場合,このステップをさらに細分化して,「(2−1)キーワードを用意する」「(2−2)論文検索サイトを特定する」「(2−3)それぞれのサイトでキーワードを調べる」などと設定し直せば,教えられる側がどの段階で躓いてるかがわかるであろう。


このような段階化は,暗黙の手続きを言語化する必要があるし,教えられる側が躓いている内容を把握することも必要になり,手間も時間もかかるが,教える側の自分がどのような手順で教えていけば良いかの道標にもなるという効果もある。

ちなみにシラバスはこの段階化を可視化する媒体の一つでもあるので,シラバスは作る側にとっても見る側にとっても本来的には重要なものなのだと思う。

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仲嶺真
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