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調査が乱発される状況

(2020.07.30に書いたブログ記事を転載したものです)

 調査に携わるものとして,最近とても気になることがあります。それは,調査(アンケート調査)が簡単に実施されることです。

 ビッグデータの時代だからでしょうか,企業もよく調査をしています。たとえば,飛行機に乗ったあとに届く満足度調査はその一例です。「調査をすることで何かが明らかにできる」と考えているから多くの企業で調査をしているのだと思います。しかし,調査によって何かを明らかにするためには「調査をする」だけでなく,「調査の仕方」が大事です。

 「調査の仕方」の一つに項目設計があります。たとえば,「あなたは昨日食べた料理に満足していますか?」という質問を考えたとき,食べた料理が1品なら問題ありませんが,複数品を食べていた場合,回答を有効に活用できないという問題が生じます。「不満」の回答の中身が,1品だけ美味しくなかったから「不満」という場合と,全品美味しくなかったから「不満」という場合では改善内容が異なっています。これは一例ですが,どのように質問をし,どのように答えてもらうかを考える項目設計は,自分たちが明らかにしたいことを明らかにするうえでは重要な役割を担っています。

 そのほかの「調査の仕方」にデータ収集法もあります。たとえば,Twitter上で「【拡散希望】卒論のための調査へのご協力をお願いします」などというツイートをたまに見かけます。そういう収集法が適している調査もあるかと思いますが,そうは思えない調査が「拡散希望」されていることも多いです。その場合,集まったデータ(結果)はどのように解釈できるのかがわかりません。たとえば,極端な例ですが,SNSをあまり使わない人の考え方を知ろうと思って,Twitterの「拡散希望」でデータを集めたとき,それは本当に知りたい結果を反映していると言えるのでしょうか。個人的にはとても疑問です。「調査をすること」自体に意味がある,つまり,データ(結果)自体に意味があると考えていると,「拡散希望」調査が肯定できるのかもしれませんが,データ(結果)の現れ方は集められ方に依存するので,データ(結果)の意味は,データだけでは決まらないことを忘れてはならないと思います。

 このように「調査の仕方」は調査をするうえでとても重要なのですが,この重要性の認識が失われていくのではないかと思ったきっかけの一つに,Twitterで個人が行なっている(過剰な)調査(質問)を見たことがあります。質問に対して選択肢を用意し,投票みたいな形でクリックすると選択肢を選べるという誰でも気軽に調査(質問)ができるものです。本気の調査ではないので,別にそこまで目くじらを立てる必要はないかもしれませんが,その調査から何かが分かった気になったり,それを「調査」として活用している現状をみると,「聞けば何かがわかる」という誤った認識が生まれてしまうのではないかと調査を生業にする人間としては懸念しています。そして,この過剰な調査という点は,企業が実施する調査においても同様に当てはまります。

 調査は「調査の仕方」が重要であるにもかかわらず,調査をすれば何かがわかるという(誤った)認識から調査が過剰に実施される。その過剰性は,誤った認識をさらに強化するだけでなく「調査の仕方」の重要性への認識をますます失わせる。結果として,何かを明らかにするためのものだった調査が何も明らかにしないものへと変質するという共有地の悲劇のような状況が起こる。

 以上のような事態にならないことを個人的には祈っています。

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仲嶺真
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