誠意note_13

誠意とはなにか

先日,とある件で注意を受けた。具体的には書けないけれど,注意の一部については,なぜその注意を受けなければならないのかよくわからなかった。たとえて言えば,高校の先生に「模試は受けなければいけない」と言われているような感覚。それをわかっているから,「今回は受けれない事情があるので,別の模試を受ける」と伝えたつもりだった。なのに,その点について「模試は受けなければいけない」と注意されるのはなぜなのだろうと思った。

もちろん色々な理由はあると思うのだけど,その一つに「伝え方の悪さ」があったのかなと思った。

模試を受けれないことを僕はメールで伝えていた。おそらくこれが誠意のなさに受けとられたのかもしれない。メールではなくて対面で伝えていたら,もしかしたら「模試は受けなければいけない」とは言われなかったのかもしれない。

誠意について考える

そこで,誠意って何かを考えてみた。一応,辞書的な定義は「私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心。」とされている(デジタル大辞泉)。でも,メールと対面との間に「私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心。」の差があるとは思えないので,ちょっとした事例で考えてみる。

たとえば,恋愛の告白でいえば,大半の人は対面で告白をする。これは対面の方が気持ち(誠意)が伝わると考えられている現れなのだと思う(最近はLINEで告白する事例も増えているらしいけど)。

でも,上でも書いたが,対面でもメールでもLINEでも誠意の度合いが同じなことはあるはずで,対面の方が誠意があるように見えるのは少し考えればおかしい。対面の方が誠意があるということになれば,内容ではなく形式から誠意を判断していることになる。

もちろん,形式だけで判断しているわけではなく,形式でも判断しているということなのだろう。

では,この形式って何なのだろうか。おそらく形式とは誠意を伝える側が誠意を伝える際にどれだけのコスト(時間・金銭など)をかけたかということなのだと思う(これはちなみに,コストリー・シグナリング理論と言うらしい)。

メールよりも対面の方が誠意が伝わるのは,メールだと家でもできるけど,対面だとその人のところまで行くというコストがかかることに起因している。

告白の場合でも,相手のコストがかかっている(相手は告白に労力をかけた)と告白された側が思うと,告白された側は告白に好感を持ち,誠意を感じることが示されている。

つまり,誠意とは,内容も大事だが,それと同じくらい形式(= どれだけのコストがかかっているか)によっても規定されているのだと思う。

ちなみに,日本でのナンパに対する態度は否定的だけど,おそらくこれもコストの問題なのかもしれない。つまり,ナンパはあまりにも労力をかけていないように見える(手当たり次第に声をかけているように見える)ので,誠意がないと判断され,否定的な態度になるのだろう。(まあ,実際に手当たり次第な人もいるから仕方ないと思うけど。)

話が逸れたが,要するに,誠意=「私利・私欲を離れて、正直に熱心に事にあたる心。」とは,「正直に」というのが内容,「熱心に」というのが形式(=どれだけのコストをかけたか)に相当し,それらによって誠意が判定されるということなのであろう。

誠意=伝える側のコスト?

でもここでもう少し考えてみたい。誠意の判定のされ方が伝える側のコストでいいのだろうか。別の形式の誠意の伝え方もあるのではないだろうか。

たとえば,「相手のコストを減らす」という視点もあるかもしれない。対面で伝えることは確かに想いを多様なメッセージで伝えられるというメリットはあるかもしれないが,反対に言えば,対面するまでに時間がかかり,その分相手にコストがかかるというデメリットもあるかもしれない。

「時間がかかる」のがメリットになる場合ももちろんあるだろう。たとえば,告白であれば,「思い立ったが吉日,今すぐ言おう」もそれはそれで良いし,「夜景の見えるレストラン予約して,食事した後に綺麗な風景をみながら,〇〇と伝えよう」というように時間をかけてプランを練ってもそれはそれで良い。

でも,時間をかけることでデメリットになる場合,たとえば,注文していた商品のキャンセルなどは,早めに伝えてあげることで,相手の仕事の負担が減るかもしれない。その場合は対面よりもメールで伝える方がむしろ良いし,その出来事に熱心(=よく考えている)と言えるかもしれない。相手の負担を減らそうと思って早く伝えるのだから。

つまり,誠意とは伝える側がコストをかけることで判定される側面もあるし,伝えられる側のコストを減らすことで判定される側面があってもいいのではないかと思う。誠意を伝える側にコストを負担させるのではなく,誠意を伝えられる側のコストを低減させることによる誠意の表し方もあるように思う。

おそらく,誠意=伝えられる側のコストの低減という視点が取りにくいのは,伝えられる側のもともとの負担は増えているという点にあると思う。

たとえば,商品のキャンセルの事例で考えてみる。注文した人をA,注文された人をZとする。Aが注文した時点で,Zは仕事に取り掛かる。なので,その分の負担はそもそも増える。その後,Aがキャンセルしたいとなり,対面かメールのいずれかでその旨+謝意を伝えたとする。

対面の場合,キャンセル+謝意を伝えるまでに時間はかかる。その間,Zは仕事を続けることになるので負担の増加率が大きい。Aもキャンセル+謝意のために時間を作り,相手に会いに行くというコストを払うため,その分多少負担が増える。

メールの場合,伝えるまでに時間がかからない分,Zが仕事を続ける時間は相対的に短くなり,負担増加率は小さい。Aもメールで伝えることができるので,対面に比べて負担が小さい。

上記をイメージ的に表したのが以下の図1である。負担の数はあくまで例であるが,図を見るとわかるように,対面でもメールでもAとZの負担の差は同じ2である。しかし,対面の場合はAも負担が増えている一方,メールの場合はAの負担がない。しかしそもそも注文を受けた時点でZは負担が増える。つまり,AとZの負担の差分ではなく「俺も負担したのだから,お前も多少負担しろ」という心理が,誠意の伝わりやすさ,あるいは感じやすさの肝になるのではないかと思う。

誠意note

図1. 商品キャンセルの事例で考える誠意の伝わりやすさ

このように,誠意を伝えられる側は何かしらの負担が増えている分,相手にも負担を求める。だから,伝える側のコストによって誠意が規定されるのであろう。しかし,一見すると伝える側のコストが小さいように思えても,それは伝えられる側のコストを低減しようと思って行ったことなのかもしれない。

誠意は,伝える側のコストでだけ判定するのではなく,伝えられる側のコストを伝える側が減らすように努めているという点でも判定されるといいのかなと思う。

最後に

ここまで書いて思いましたが,「伝えられる側のコストを伝える側が減らすように努めている」というのは,二段階の思考が必要なので,単純にその視点を取りにくいのだろうなとは思いました。

また,ここで書いたことにはいろんな前提があると思います。たとえば,対面とメールを単純に一対比較していることとか(メールでも対面でも伝えたらいいのでは?),対面は時間がかかると想定しているとかです。

これらの前提を変えて考えたらまた違うはずですので,そこは何かの機会があれば考えてみたいなと思います。

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仲嶺真
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