【仕事やめやめ日記】2024/07/24-2024/07/25
仕事やめやめ初日だ!昨日まではカジノに行っていたので非日常すぎてなにも思っていなかったが、平日に仕事がない状態になるとやはり不安になり、その不安を埋めるために朝からジャーナルを書いている。多分、しばらくは朝なにをしたらよいかの感覚とか掴むのが難しいから、こんな感じでフリーフローライティングをして自分の欲求とか今感じていることを整理する必要がありそう。
今日まず感じたことは「アウトプットすべきか、インプットすべきか」ということ。どうしようかと考えて、なにか言葉が出てきそうだったからPCを開いたけれど、そもそもこの問い自体が良くないということに書いていて思い至った。最初からこの2択と決めつけて動こうとすると引き寄せるべき偶然性を失ってしまいそうだから。
無理やりに今日はこれやるとか決めずに、一つ、また一つと点を打っていくことで線を引いていくスタイルが良いのかも。その線も、別にまっすぐじゃなくてよくて、ぐちゃぐちゃに、前に戻ったり、めちゃくちゃワープしたりしても良いと思う。仕事だとその線を最短でAからBまで引くことを求められて、私はそれが得意な方だと思うんだけど、それだけできても、線を引くための起点を生み出すことができなくてはどこに線を引いたらよいのかもわからない。
時間とお金を無駄にしないように効率的に動こう!みたいになっちゃっててもったいなかった。この時間は、頭と心と身体のアンテナをウチソト両方にぐんぐん伸ばして、組織とか社会の枠にハマらないで考えるための時間なんだから、時間とかお金みたいな社会が人を管理するために使っている尺度で考えていてはいけない。(ただし、自分の理想だったり、生存に関わるラインは見ておく必要はあるのだけれど)
やっぱりアウトプットをしてると安心してる自分がいるなあ。不安なんだろうな。まだ有給期間なんだけどね一応。普通に働いていたら、ただ休んでいただけの時間がこんな充実した時間(ここは確定していると思う!!)になるのは素晴らしいこと。
この1ヶ月でまず意識することは、少しだけいつもと違うルートを通ってみること。(無理ない範囲で)。いつも話しかけない人と話してみたり、いつもは曲がらない道で曲がってみたり、とかそういう隙間を持つこと。大学2年生のときの自分に戻ってみる感じ。大学2年生の夏休みも、思い切ってインターンを辞めて、収入が2ヶ月くらいなくて、でも時間もあるから思い切ってローカルなお店のバイトに飛び込んでみたり、読んでいた本の装丁を作っている会社にいきなり申し込んで弟子入りしたり、いろんな展示をみていろんな本を読んで、新しい世界に出会った時間だった。
内藤礼を見てきた。なんか作品自体ピンとこなくてただそこにいる人を観察していた。日本の展示会場ってなんか息苦しくて、それは人自体がつくっているinternalisedされた規律があまりにも強すぎて、座っていいですよって書いてあるのに誰も座らないところとか、厳かすぎるところがある。そこに日本的な美があるのかもで、大学2年のときの自分だったら好きだったかもしれないけれど、今はそういうふうに空気でルールを作る感じは好きではないので合わなくなったか。
警備員?みたいな人が作品を神経質そうに確認して、スタッフの人となにやら話しているのもすごく嫌な感じだった。この人は作品に平気に触れられるのに、観客が触れようものなら顔色を変えてすっ飛んでくる(だろう)。触っていけないのであれば明確に線を引けばよいし、それが美学的にできないのであれば触ることを許容するしかないのでは?と思ってしまう。まあ現実的に美術館はアーティストの資産を預かっているわけだからそういうわけにもいかないだろうけど。ギャラリーなら敷居が高い分おおらかにできるが、公共空間である美術館は色んな人がいる分、厳格にやらざるをえなくなる。
展示を見て、上野のドトールにいる間、「つくるということにおいて自分が強みとしていることはなにか?」という問いについて少し考えてみたいかもと思った。
これを思いついた背景としては、わたしはなにか自分の専門知や、スキル自体を切り売りすることで生きていくことは多分向いてなくて。それはプレーヤーとしてダンスや演劇を続けていくことが難しい、というところにも出ているし、仕事としてもコンサルタントみたいな仕事は多分向いていない。組織論に興味がある、個別化に興味があるといっても、ではキャリアコンサルタントやコーチング、組織づくりのコンサルに今なれるか、というとそうではなく。10年後とかはシンプルに経験が積み重なってやりやすくはなるかもだけど、そもそもやりたいか、で行っても違うような気もする。自分が教える、というより、気づいていく仕組みや、気づきの媒介になるような体験(オフライン・オンライン・物理・バーチャル問わず)を作ることに関心があると思う。
ただし、それをつくること、の専門家でもないことに注意が必要。エンジニアをできるわけでも、陶芸家ができるわけでも、芸術家ができるわけでも、編集者になれるわけでも多分なくて。それがやりたいことではない。
やってたいことは、発端になるコンセプトやものごとの骨組みを作ったうえで、それを実現するためのディレクションをすること。そこで必要な専門性は移りかわってしまうから一つに定められない。今日は本で明日はダンスで、明後日はアプリかもしれないのに、自分が文章もダンスもコーディングも磨くのはあんまりスマートではないし、そもそも極めるエネルギーが沸かない。やっぱりこういう人たちに協力してもらって、つくる、というところに根本、楽しさを感じていそう。ただ、まだあまり人とつくる、ことを自ら興してやった経験がなくて、どちらかというと、自分ひとりで最後までつくる or 人の枠組みのなかでの似たような仕事を一部やっていた、という感じなので、そのプロセス自体を自分で発見していく必要があるのかもしれない。