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人生に余白を生み出す "イシューからはじめよ4/4"

「イシュー思考」が映し出す人生との可能性

 ここまで「イシューからはじめよ―知的生産の『シンプルな本質』」をテーマに、4回にわたってお話をしてきました。今回は「最終回」として、これまでの内容を総括しつつ、もう少し視野を広げて私たちの人生を考えるうえでも「イシュー思考」がどのような意味を持つのかを探ってみたいと思います。前回までは日常・組織など、比較的具体的な事例を中心にご紹介してきましたが、今回はよりパーソナルな視点にフォーカスして、最終的なまとめとさせていただきます。今、この文章を読んでくださっているあなたが、将来に向けて少しでも新しい気づきを得られたらうれしいです。

yohakuとしては最初で最後のビジネス書と呼ばれる書籍の解説をしていくことになると思います。時間的、経済的「余白」を生み出す為に必要だと考えて取り上げてみることにしました。(書籍の内容解説は散々されているのと本自体が非常に分かりやすいので、あくまでyohakuの観点から紹介するに留めます)。

では早速、人生とイシュー思考の関係性に目を向けてみましょう。そもそも、人生の中で私たちは多くの選択を迫られます。学校を卒業するとき、就職や転職を考えるとき、人間関係での大事な局面など、数え上げればキリがありません。そのたびに「どちらを選ぶべきか」と悩んだり、あるいは「そもそも自分が本当に求めているものは何なのか」がわからなくなったりすることもありますよね。こうした悩みは、多くの人が共通して抱えるものではないでしょうか。

このような場面でこそ、「イシューは何か」と問いかけることが役に立つと私は感じます。たとえば、転職をするかどうか迷っている人ならば、「本当はどんな働き方をしたいのか」「その職場を離れることでしか得られないものは何か」を自分の中で明確にしてみるのです。あるいは「なぜ、いま転職を考えるのか」「どうなれば転職しなくても満足できるのか」と問い直してみることで、自分が抱えている不満や希望の核心を見極められるかもしれません。そこがイシュー設定の第一歩になりうるのです。

さらに言えば、このように自分の人生の問いを正面から見つめることは、他の人が与えてくれる答えに左右されず「自分にとって何が重要か」をしっかり意識することにもつながります。有名大学を卒業した人でも、誰もが一流企業に就職する必要はありませんし、立派なキャリアを積んできた人が必ずしも安定を求めるわけでもないでしょう。むしろ「自分自身にとってのイシューを正しく理解しているかどうか」で、納得のいく人生を歩むかどうかが大きく分かれるのではないでしょうか。

思考と行動を結びつける「イシュー」の意義

 ここで、あらためて「思考する」という行為を振り返ってみましょう。たとえば哲学の世界では、古代ギリシャのプラトンやアリストテレス以来、「人間は理性を使って世界を把握し、行動を導く」とされてきました。もちろん、理性だけがすべてではありませんが、人がある目的に向かって努力するとき、最終的には「なぜそれをしたいのか」「何を達成したいのか」という問いを明確にできるかがカギになります。

イシュー思考の大きな特徴は、ただ頭の中で考えるだけでなく、行動の指針を導くところまでつなげやすいという点です。「何が問題なのか」を整理しておくことで、いざ行動を起こすときに「これは自分のイシューに直接関係があるか、それとも無駄な遠回りか」を判断しやすくなります。逆にいえば、イシューが不明確なまま行動を始めてしまうと、途中で「何のためにやっていたんだっけ」という状態に陥りがちです。

人生やキャリアでも、長期的な視点が求められる場面ではなおさら「どのイシューに答えようとしているのか」を意識しておくとブレが少なくなるでしょう。たとえば、ある人は「自分の得意分野で社会に貢献したい」というイシューを持っているかもしれません。そこから「どんなスキルを磨く必要があるか」「どんな企業や仕事を選べばよいか」といった具体的なステップが自然と導かれるはずです。

しかし一方で、イシューが変化することを受け入れる柔軟性も大切です。人生のステージや環境が変わると、これまで抱いていた問いが急に色あせて見えたり、新たに強い関心を引くテーマが芽生えたりすることは珍しくありません。ここで重要なのは、一度設定したイシューに固執しすぎず、定期的に問いを見直すという姿勢です。本書でも、イシューは状況によって書き換えられるものであると再三示唆されています。そこが「思考と行動を往復させる」本来の姿なのだと思います。

異なる価値観との対話と「イシューからの飛躍」

 人生やキャリアを考えるときは、どうしても自分の価値観や経験を中心に物事を捉えがちです。しかし、多様な価値観や背景を持つ人々との対話を重ねると、新たな問いが生まれたり、これまで想定していなかった可能性が開けたりすることがあります。たとえば、仕事で出会った他業種の人や、海外の文化を背景に育った友人と話す中で「自分が問題だと思っていたことは、実は世界の一部に過ぎないのだ」という気づきを得ることもあるのではないでしょうか。

これは「イシューを定める」行為の根底にある「より広い視点を取り込む」というプロセスにも通じる話です。最終的には自分の中で答えを出すにしても、その前段階でさまざまな人の見方や世界観を知ると、問いの質が一段と高まります。この点は、「新しい知見は異分野の交わりから生まれる」と説く科学哲学者のトーマス・クーンの思想にも通じるでしょう。クーンはパラダイム・シフトの概念を提唱し、既存の常識や枠組みが大きく変動する瞬間こそが、科学や社会の大きな進歩に直結すると指摘しました。

社会やビジネス、あるいは研究の現場で大きな飛躍を遂げるときには、多くの場合「まったく異なる領域との交わり」や「今までにない視点との融合」が関わっていると言われます。これは個人の人生観やキャリアにも当てはまります。もしかすると、自分がこれまで大事にしてきた価値観や強みを、まったく別のフィールドで試してみると意外な評価を得られるかもしれません。あるいは「今まで他人事だと思っていた社会問題」に目を向けてみると、自分にとっての新たなイシューが生まれ、大きな行動変容につながるかもしれません。

こうした「イシューからの飛躍」を生むためにも、私たちは普段から自分の問いを常に少し俯瞰し、柔軟に広げる準備をしておく必要があります。本書「イシューからはじめよ」の中でも、著者の安宅和人さんは「問題設定と仮説・検証の繰り返し」を通じて、新たなアイデアや方向性が自然と見つかる可能性を何度も強調しています。単に「問いを立てて答えを出す」という直線的な流れだけではなく、別の角度から眺めたり、余白を設けたりすることで想像以上のインサイトが得られるのです。

これからの行動に繋がるイシューを

 最終回となる今回は、日常の些細な悩みや仕事上の課題だけではなく、人生そのものを見つめるためにも「イシューからはじめる」視点は有効であるというお話をしました。私たちは生きていくうえで、どうしても無数の選択肢と情報に囲まれてしまいます。そんなときにこそ、「結局、何が自分にとって本当に大事な問いなのか」を定めるだけで、驚くほどスッキリ行動できることがあります。これは大げさに言えば「自分らしい生き方を形成する」ための基盤にもなるはずです。

もっとも、イシューが定まったからといってすべてが楽になるわけではありません。行動に移すためには勇気や努力が必要ですし、途中でつまずくことも大いにあるでしょう。しかし、イシューの意識があるかないかだけでも、苦境に陥ったときの持ち直し方やモチベーションのキープが変わります。問題が明確だからこそ、「なぜ私はここで踏ん張る必要があるのか」を再確認できるというわけです。

そして、もしあなたがさらに深い学びや議論を続けたいと感じたなら、ぜひ今後もさまざまな読書や対話を重ねてみてください。本書はもちろん、そこから派生する思考法や具体的な事例を探る本は数多く存在しています。あるいは、あなたの周りの友人や同僚と「今、一番気になっている課題は何か」と話し合ってみてもいいでしょう。そうした「問いかけ」の積み重ねが、いつかあなた自身にとって大きな財産になっていくのではないでしょうか。

最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。今回を通じて「イシューとは何か」「なぜ最初に問いを明確にすべきなのか」、そして「それをどう日常や組織、人生の決断に活かすのか」を考えてきました。もしこの連載のいずれかのパートで、あなたの思考や行動をわずかでもプラスに変えるヒントが見つかったならば、これ以上うれしいことはありません。

どうか今後のあなたの思索やチャレンジが、イシュー思考によってより鮮明になり、望む未来を切り拓く一助となりますように。ありがとうございました。



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