永い言い訳@読書感想文
長めの休みに入ると暇つぶしによく本を読みます。
で、ずっと読みたいままに本を買っていると本代が馬鹿にならないので、キンドルの奥の方にある昔読んだ本をもう一回ダウンロードして読み直します。読書なんて暇つぶしですから。
あんまり賢くない方なので、数年経つとすごいざっとしたあらすじしか覚えていないことが多く、ほぼ初見のような気持ちで読めるので、自分の脳みそのスペックの低さがありがたいです。
で、5年くらい前に買った西川美和の「永い言い訳」を年末に読みました。
超ざっくりあらすじを書くと、夫婦仲が冷めきった小説家が奥さんを事故で亡くしたことをきっかけに、同じく事故で亡くなった奥さんのお友達の残された家族と交流する、といった感じです。
こう書くと、小説家がいい感じの人のようになりますが、彼の性根があまり良くないというか寂しい人です。
西川美和の作品の特徴として、人の昏いところを書き出します。なんとなく太宰治っぽいというか、読んでる自分の悪いところを見透かされている感じがします。僕は西川美和のそんなところが結構好きです。
永い言い訳もそんな書きっぷりです。
読み終わって思うのは、タイトルの「永い言い訳」とはどういう意味だろうか?ということです。
言い訳、なので誰かが誰かに理由を説明する、ということになります。
ぱっと思いつくのは、小説家が死んでしまった奥さんに言い訳している、という意味なのかな、というところですが、今イチ合っている気がしません。
色んな視点から物語が書かれていて、もちろん小説家視点もあるんですが、別に言い訳してないような気がしますし。独白調なので、言訳のニュアンスがないというか。ただ、独白だとしても本音を言うかといえば、自己防衛的に言い訳をだらだらする、ということはあるかも。
これかな、と思うのが、奥さんが亡くなった前後で小説家の作風が変わったような記述があるので、その言い訳をしている、という意味です。
奥さんとの仲は冷め切っているので、基本的に奥さんが亡くなっても、小説家は落ち込んだりしていません。近くで見ている人が不思議に思うほど、何とも思っていない。
なんだけど、作風が変わってしまった説明を長々しているのかな、と。事故の他の遺族との交流が理由なんですけど。
でも、小説全体が言い訳だとすると確かに長いんですけど、タイトルは「永い」を使っているんですよね。
長いには、いろんな長さ(距離とか時間とか)の意味がありますが、永いには期間的なニュアンスがあります。
あえて永いにしたのは何でなんだろう。
他にも西川美和の本はキンドルに眠っているので読み直そうかな。