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滝行のすすめ

仕事でムシャクシャしていた。
とてもとても。
月曜日はヨガの日だから、ヨガすれば少しは落ち着くかなって。
そう思っていた。
いいや、そんな事思っていない。
私は3〜40代向けの女性誌に出てくる、オフィスカジュアルを風に靡かせて、ギラギラとクレドポーが輝くミラーボールみたいな顔で、カバンの中を晒して気持ちよくなるような露出狂の読者モデルじゃない。
ヨガとピラティスとパーソナルジムという大人のおもちゃを使って自慰行為していることを他人に主張したりしない。
私はパンツの中が濡れていることを絶対他人に言わないタイプの人間だ。

ヨガを始めたのは、土日に飲み過ぎた酒を抜きたかったからだ。
少しでも酒を薄めたかったからだ。

ヨガをしながら考える。
今日はなんでこんなにムシャクシャしているんだろう。
職場の嫌なやつとは一言も話さずに済んだ。
帰るのだって遅くなかった。
早いくらいだった。
甲子園だって、大事な場面はちゃんと見れた。
大社が負けたのは、寂しさがあったけど、別に鳥取出身でもなければ…えっと島根の方だっけ…。
鳥取を思い出したあとじゃないと島根が出てこないくらい、思入れもなかった。
このムシャクシャは、モゾモゾでもあった。
何かが、モゾモゾしている。
足がムズムズして寝れない日みたいに、心がモゾモゾして感情を無にしないと生きていけないような。
「あ、死ぬとしたら今日みたいな日かな」
そう思った。
ヨガしながら「死ぬなら今日だ」と、思った。

帰りに自転車を漕ぎながら考える。
今日家に帰ったらお風呂に入れるかなあ。
私は風呂が苦手なので、出来るだけ近寄らないようにしている。
でも今日はヨガなんかしたもんだから、微妙に汗をかいている。

私は死にたいのか、お風呂に入りたくないのか。
自分に矛盾を問う。
私は選択肢があることに満足したいだけなんじゃないか。
選択肢のある中で、ダメな方を選ぶことを楽しんでいるだけなんじゃないだろうか。
資本主義が衰退しても、死ぬこととお風呂に入らないことは相変わらずダメなことなら、この世界から苦しみは無くならないのではないか。

すると神は怒った。
そんなくだらないことを考えていると、すっかり暗くなった東の空が光ったのだ。
その直後に神の「ゴーーーーー」というお怒りの音がした。
私は直感した。
私に直感力がある訳じゃない。
全関東人が直感した。
これは、近いぞ。

私は暗く晴れた空の下、自転車をいつもの2倍速で漕いだ。
家までは15分。
激走すれば、神のお怒りに触れずに済むだろう。
あまりの速さに、私のオンボロの自転車も驚いていた。
5分経ったところで、パラパラと雨粒を感じるようになった。
でもいつものパラパラの雨粒とは違うのだ。
ドテリドテリと地面に落ちる音が聞こえるような、大粒の雨だ。
全関東人が直感した。
これは、相当近いぞ。

ドテリドテリから、滝行をするに至るまでは、体感10秒だった。
家まで10分以内に着く。
雨雲はゆっくり動いている。
私はかなり濡れている。
どこかで雨宿りなんていう選択肢はない。
漕ぎ出した自転車。
後戻りはできない。

私は雨雲レーダーの紫の中を自転車で疾走する。
風も強く少しでも速度を緩めたら飛ばされそうだ。
雨粒で目が痛くて開かないから、前が見えない。
口に入った雨が気持ち悪くてよだれを垂らしているが、幸い誰も気がつかない。
それに、パンツの中がびしょ濡れだ。

家までがこんなに長かったことを初めて知った。
暗い小学校の6年間くらい長かった。

でも自転車を漕ぎながらの長い長い滝行の中で、私は何かをなくした。
あ、あのモゾモゾだ。
今は別に死にたくも生きたくもない。
家に着いてすぐに風呂に入らない、なんていう選択肢がない。
私が家に着いて風呂に入らなかったら、風呂場以外が風呂場になる。
あーもういいや。もういい。知らない。私は知らない。
私の中の何かが流された。

滝行をしにわざわざ遠くまで行く人がいる。
滝行をしたということで、満足する人がいる。
お前は、滝行を少しかっこいいと思ってないか。
お前は、滝行をしたと人に言いたいだけじゃないか。
お前の「滝行」という煩悩からは、煩悩しか生まれないんだよ。

おい、本当に滝行したいやつ。
次のゲリラ豪雨の時に、雨雲レーザーが紫になったら外に出て10分間自転車漕げよ。
辛くて、恥ずかしくて、情けない、お前の姿を晒すんだよ。
それで、家に着いてその顔を見てみろ。
クレドポーが全部落ちた、その情けない球体が、お前だよ。

あーあ。
シャワーってあったかくて気持ちいい。


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