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スピノザ:『政治論』

原題はTractatus Politicus(ラテン語)政治に関する論考。ただ、国家の政治に関することなので、日本語訳では『国家論』とも訳されます。

読むならこれ!『政治論』

 スピノザを少しでも知っている人なら主著は『エチカ』でしょ、と思うでしょう。さて、そのエチカ。読んだことありますか? 私は……うっ、頭が。

生前は出版されず、未完成品

 未完の著書は、それを理由に選択から外してきただろうと言われそうです。ただ、内容理解に不足はほぼないことと、読みやすさで選定しました。未完の理由は単純で、肺の病気で死んでしまったからです。ただ、その後すぐに遺稿集に収録されるかたちで、世に出た本です。

共同体の仕組みと構成員についてが主題

 政治論考と訳しても、国家論考と訳しても間違いではないのですが、大事なのは題名ではなく中身です。人の集まり――共同体、あるいは組織のそもそもの目的は何か。その目的を果たすための制度(仕組み)の基本方針はどういうものか。どういう構成員(個人)が想定され、個人の自由はどのように守られるか。こういったことが、比較的少ない文量で書かれています。

同時代人:デカルト・ホッブズ・ライプニッツ

 デカルトとは直接の面識はないはずです。ただ、デカルトの哲学がベースになっています(デカルトの研究本も出版しています)。デカルト哲学との関係性でいえば、今でいう自然科学(幾何学や物理学)の方ではなく、社会科学の方面に特化しているといえます。
 そうすると、ホッブズともろに被ってきます。比較するとならホッブズとの違いの方がいいでしょうね。ここでは、ごく簡単にしか触れませんが、ホッブズは合理的な国家を主に考えリヴァイアサン(巨大怪獣)として描きました。単純化しすぎですが、そこでの個人は、権利主体として没個性的に扱われています。スピノザは、色んな政治体制があるけど、ようはきちんと運営されていることが大事だよねと考えましたし、また、構成員である個人も、色んな人がいるけど、そういう人たちをきちんと統治できることが大事だよねと考えました。同じ合理主義者に分類され、同じテーマを扱ったんですがずいぶん違うわけです。
 ライプニッツは、著作としては一冊しか残さなかったですが、その分、政治活動に忙しかった人です(上手くいかないこと続きでしたが)。ただ、勉強の方は天才でした。デカルトを頭のいい人と書きましたが、ライプニッツはマジで天才です。それはさておき、スピノザのお家に遊びにいったこともあるんですが、政治的にも哲学的にも深い交流には至らなかったみたいです。

時代背景・どんな人物

 デカルトほぼ同じ時代ですから大枠としての背景は同じです。ここでは、スピノザ固有の背景を紹介します。ある程度知っていないと『政治論』の理解にも影響するものです。ただ、付随して人物紹介に触れることになるので見出しとしてはまとめました。

ユダヤ教団から破門される

 なんか炎上事件を起こしたとか、そういうことではなく、考え方が無神論だというのが理由です。つまり「お前、神様信じてないだろ」ってことです。正式な手続きで破門されていて、破門状も残っていますよ。興味があったら読んでみてください。びっくりするぐらい沢山「呪いあれ」って書いてあります。

匿名の著作が特定される

 破門されて、住んでいたコミュニティも追われます。引越し先で『神学・政治論』を匿名で出版します。ただ、これはすぐに特定されましたね。あー、あの無神論者だな、って感じです。追加の罰があったりはしませんでしたが、オランダ語版の出版はやめることになりました。
 さて、(『政治論』と名前が似ていますが別の本である)『神学・政治論』では、国家の構成員、個人の自由を強調しました。そして、政治体制としては民主制を推していました。これだけ覚えておいてください。

 『神学・政治論』を書いた後、また引っ越しですが、その引越し先で金銭的にもお世話になっていた商人貴族(その都市の運営と公共財政の管理もしていました)のお偉いさんが、(伝統的な貴族の扇動があったとはいえ)暴徒化した民衆に虐殺されます。この出来事にスピノザはマジギレします。
 理由が大事です。誤解を恐れず単純化して書くと……当時、民衆は権力者に虐げられていました。スピノザは権力に媚びることなく、それどころか民衆に味方するような主張の本を出し、(悪口中心ですが)世間の反響もありました。そして、お世話になっていた商人貴族は、共和国を運営していたんです。それは、民衆にとっては権力に押さえつけられないという意味で、歓迎される運営でした。ところが、その民衆が運営者を虐殺し、自ら共和国を潰して、伝統的な貴族を総督として迎え入れる。
 スピノザは、お世話になっていた人が殺されたからだけで、怒ったのではありません。民衆(群衆=マルチチュード)の馬鹿さ加減に怒ったのです。

そして『政治論』

 この背景を知った上で、政治論を読んでみてください。スピノザはまだ民主制が最高と考えていますし、個人の自由も守るべきだと書いています。これは、驚くべきことです。そして、ここがこの本の偉大なところです。
 たしかに、『神学・政治論』との比重の違いがあります。個人の自由よりも、国家の役割として安全を保証することが前面に出ます。これは、国外との戦争だけでなく(民衆の暴走のような)国内の安全も含みます。しかし、全体を見れば、民衆の平等主義と安全保障としての国家の両立のモデルを明確にしたと言えるものです。

仕事はレンズ磨き

 お父さんが商人で、スピノザもそれを引き継いで商売をしていたんですが、2年ぐらいで辞めます。気楽なものですね。独身の強みともいえます(哲学者って独身多くないですか?)。いちおう、レンズ磨きの仕事はしていました。とはいえ、生計は、お偉いさんの援助とか、年金とかで十分だったので、趣味程度ですね。ただ、レンズ磨きの腕は一流です。スピノザの磨いた(望遠鏡用)レンズでないと見えない星がある、とまで言われて重宝されたそうです。
 あと、お気づきの方がいらっしゃるかどうか。死因である肺の病気は、たぶんこのレンズ磨き(の粉)のせいです。マスクすればよかったのに。

現代的評価:★★★★

スピノザは、当時から適切な評価を得ていません。最近、けっこうスポットが当たることが増えたのは、現代でも役に立つからです。

汎神論

 この記事では、哲学の内容や用語の説明はしないので触れませんでしたが、「神即自然」ってやつです。だから、当時は無神論っていわれるんですけどね。ただ、私たち読者としてはデカルトと違って、ほとんど神様にこだわっていないので、とても読みやすいです。

感情について

 スピノザは個人の感情についての哲学者としても有名です。デカルトも『情念論』を書いていますが、比較になりません。
 スピノザは、個人や特に集団になった人間が理性的でないことをよく知っています。そして、それを「理性的でないから」といって理論的に排除しません。むしろ、理性的でない人や集団もいるという前提から理論を構築します。この点が、他の合理主義者と一線を画すところです。というか、画しすぎました。つまり、時代を先取りしすぎだったので、なかなか評価されなかったんですね。しかし、私たちからすれば、とても近い問題意識と感じられるでしょう。

 「人々を隷属(無気力に)させないで、いかに組織をうまく運営するか」。「その際のポイントは、誰が運営するかではなく、どういう運営にするか(仕組み)の方だ」。これは、現在のビジネスにおける組織づくりにそのまま参考になると思いませんか。『ティール組織』というやけに分厚いビジネス書がありますが、そこでの中心的な問への答えが、簡潔に書かれている、そういう本です。

さいごに

 感情の哲学の方に興味を持たれた方は『エチカ』に手を出すことになります。『政治論』では、結論だけ書かれていて証明などはエチカを見ろと、スピノザ自身が注釈を入れているので。ただし、買う前に一度図書館などで、さらっと見てからにすることをすすめます。エチカは、少なくとも、読者の読みやすさを考慮して書かれた本ではありませんので。
 逆に、(時代背景を含め)政治の側面から興味を持たれた方は、こちらをすすめます。基本的に副読本は紹介しないのですが、たまにはいいでしょう。著者のバリバールは國分さんがフランスにいたときの彼の先生の一人です。

 現代の哲学者たちもそれぞれの仕方でスピノザから着想を得ています。ドゥルーズは『スピノザ』って本を書いてますし、マルチチュードは、ネグリがそのまま自分のキーワードにしていますね。とはいえ、まずは、スピノザ本人の著作に触れるのが、もっとも効率的だと私は思います。

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松岡鉄久
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