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雑記:翻訳・評価についてなど

今回は雑記回です。本編では触れない内容について、気楽に書いていきます。

哲学の本の「翻訳」について

 皆さん哲学書を日本語で読みますよね(断言)。そうだとすると、文学と同じように訳者によって読みやすさがずいぶん違うものです。私の記事では西欧哲学の紹介をするのに、人物とセットで一冊の本を挙げるわけですが、それは題名だけにして、訳者や出版社についてはあえて触れていません(今後、例外はあると思います)。なぜなのかというところから、翻訳関係について。

原著で読まないの?

 知り合いの学者の言葉を紹介します。「翻訳というのは一つの研究成果なのであり、その成果は活用すべきだ」。訳本の方が原著よりも優れている側面があるということですね。
 例えば、ドイツ語で書かれた本(原著)を日本語訳する場合、その前に英語訳などが出ていた場合、翻訳者はそちらも参照します。そして、理解の助けになる註釈も加えていきます。だって原著にも(著者自身や、編集者による)誤字脱字や文法上のミスがあるんですよ。明らかなミスについては、訳の段階で修正されます。
 もちろん、ある程度語学ができる方は、部分的にでも原著を参照されることで、理解の助けになることはあると思いますよ。日本語では難しい言葉になっていても、元の言葉では日常用語ということもよくありますからね。古典ならば、原著がKindleで無料だったりするので、探してみるのもいいと思います。

原典のススメについては、こちらの素晴らしい記事を


注釈との付き合い方

 ただ、研究成果ゆえのデメリットはあります。それはまさに註釈です。いちいち参照していては、読むという行為がぶつ切りになります。とはいえ、註釈は本文と分かれていることに意味があるのですから、私のオススメは、最初は全ての註釈を飛ばして読むことです。そして、註釈は註釈だけで、分けてさらっと読みます。慣れてくると、どういう註釈は、読書中に参照するといいか、というコツもつかめてきますよ。

良い翻訳、悪い翻訳はあるの?

 正直、あります。基本的には新しく出版されたものの方が読みやすいことが多いと思います。また翻訳の正確性という点でも、原則、最近のものの方が正しいことが多いはずです(研究成果の積み重ねですから)。ただ、細かい事情もなくはないんです……。

底本の違い

 底本というのは、翻訳するときに元にした文献のことです。手元にあった、ニーチェの本を写しておきましたが、ニーチェの訳は、訳者の手前で大きく二つに分かれます。一つが白水社の『ニーチェ全集』。もう一つが理想社の『ニーチェ全集』(現在はちくま学芸文庫で出ているもの)。これの何が違うかというと、底本が違うんです。つまり、ドイツにもニーチェ全集が複数種類あるということです。そして、当然、その全集の編集者によって中身も違うんです。……これ以上、深入りはしません。ただ、私自身の好みとして、理想社版の方が読みやすいです。しかし、新しいのは白水社版なんですね。そういう例もある、ということです。

著作の評価(★5段階)について

 ここからは、哲学者紹介の最後にある「現代的評価」についてです。
 何で評価しているか、というと総評です。もちろん、読みやすさや入手しやすさなど、要素に分解して評価することもできますが、そういうのは、他の人に任せて、私はシンプルさをとりました。
 ソクラテスの回で書きましたが、評価についての基本的なルールとしては、紹介した一冊を、これから読もうをする人にとって、役に立つ部分があるかどうか、です。
 本来、著作の価値は、これだけではありません。出版当時の社会へ与えたインパクト、後世への影響度、その後の学者の理解の材料として、などなど、実際には様々あります。それらについて知りたい場合は、是非、解説本を読んでみてください。最近は、哲学の解説本もずいぶんと充実していますね。ちょっと調べてみて、驚きました。

以下、★1~5の説明です。

読むことは時間の無駄か、場合によっては害になります

★1を付けるなら、その本を紹介するなよ、と言われそうですね。私もそう思います。「この哲学者の本を読む時間があったら、別の哲学者の本にしよう」程度の意味で受け取ってください。

★★

害は少なく、得られるメリットの方が多いでしょう

気になっているなら時間を投資してもいいんじゃない。が★2です。最低でも、教養を深めることができるはずです。

★★★

読む時間に対して十分なメリットが期待できます

読んで良かったな、と思える可能性が高いものです。★3以上が「オススメ」といったところでしょうか。

★★★★

読まないでいたことを損と感じるだけの価値があります

知識として得るものが大きい。実際のビジネスや活動に役に立つ。知っておくことで、関連トピックスの理解が顕著に深まる。そういう本です。

★★★★★

可能性を広げてくれます。それが良いか悪いかは別にして

プラトンは「哲学をあまり若いうちから学ばない方がいい」と言っています。哲学だけでなく思想を扱う本で、最高水準のものは、読んだ人の人生を変えるほどの内容であることがあります。その内容が、正しいか間違いかとは関係なく、その影響が読者にとって良いか悪いか……これは後になってみないと分からないものです。★5については警戒してください。

ギリシャ哲学の紹介はいったんおしまい

 ギリシャ哲学からは「ソクラテス」「プラトン」「アリストテレス」をご紹介できました。私としては、ギリシャ哲学の末期の象徴であるエピクロスや、ソクラテスの正統な後継者ともいえる(犬の)ディオゲネスなども取り上げたいのですが、一旦、時代を進めたいと思います。

中世は暗黒時代ではない

 ギリシャ哲学だけが古代ではありません。ヘレニズム・ローマ時代の哲学もあります。しかし、これらもとばします。
 古代の次は中世ですが、結論から言うと、とばします。教科書的には、教父哲学としてアウグスティヌスや、スコラ哲学としてトマス・アクィナスの名前が挙げられるでしょう。
 取り上げないのは、重要でないからではありません。知名度の問題です。もし、リクエストがあれば、考えます。
 ところで、「教科書」という言葉を出しましたが、少なくとも哲学にとって中世は暗黒時代ではありません。それまで、パピルスだった著作が羊皮紙に写された(写本というやつです)のは、中世です。もし、パピルスのままだったら、古代の哲学は失われていたでしょう。確かに、ローマ帝国が国教をキリスト教にした後、異教の思想である古代の哲学は、冷遇されました。ギリシャ哲学が高水準だった分、ある種の思想的後退があったということもできるでしょう。しかし、あくまで弾圧ではなく冷遇なんです。つまり、写本づくりは、主に(キリスト教の)修道士の「労働」の一つだったんです。

近代哲学へ

 ということで、次回ですが、デカルト……でも、いいですか。17世紀の人です。2000年ぐらい時間がとんでいますよね。これは酷いと、自分でも思いますが、私の教養不足のせいです。

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