ちょうどいい
ワセダ三畳青春記
高野秀行
東京の早稲田にあるボロアパートの話。ほんの数年程度の話ではなく十年以上を紡いだ作品。
エッセイが好きだ。その人となりも見えるし、その人から見た周りの人物の描写が面白い。
描写というか本来のその人が持っている持ち味が面白い。癖のある住民たちがごった返して、さながら修学旅行といった感じだ。
もしくは寮か。寮生活はしたことがないのでわからないが、こんなにも日々混沌が重なるとストレスになりそうだ。だがそのストレスが、外でのストレスを忘れさせるような時間がそこには流れている。
筆者はフリーライターで海外を何週間、何ヶ月も滞在し、家を空けることがある。海外でのことはあまり書かれていないがそこでも色々な体験をしていると思う。日本から離れ奇々とした生活を送り、そこから日本に帰り奇々とした家に戻る。
なんとまあ自分は平坦な道を歩んできたんだろうと思うが、自分も巻き込まれるとなるとそれはしんどいかもしれない。
映像で見てもしんどいだろうし、人から話を聞いても話が濃く聞きたいことがありすぎて前に進まないだろう。活字で読み進めていくのがちょうどいい。自分のスピードでニヤニヤゆっくり読むのもいいし、ゲラゲラしながらテンポ良く読むのもいい。
ライフログというのは文章が一番合っているのかもしれない。写真や他人との会話で過去を覗くと、僕としてはどうもぼやける気がする。それよりも活字で読み進めて思い出を再び想像ではなく創造するほうが良い。
良い思い出が後々、苦い思い出になったり、思い出したくもないことが笑い話になったりする。文章で思い出を再構築することができる。そんなことを気づかされた。