◎好きだった仕事をなぜ-新たな方向性-
てぃんでございます。
さて、前回の記事が自己紹介でしたので今回のこの記事から自分の思っていること、経験していることをあげていきます。
今回は工業高校を卒業した後、就職した電気設備会社での3年半とその後についてお話していきますね。(少し長くなります)
まずどんな会社かというと、主に配電盤、制御盤、分電盤といった電気設備を営業はもちろん設計から製作、発送と1~10まですべてできる会社に設計部として入社しました。
『そもそも、そのなんちゃら盤てなんやねん。』
という方のために簡略して説明すると
・【分電盤】→家にあるブレーカーのでかい建物用。主に100V(200V)の電気を供給するためのもの
・【制御盤】→分電盤のように主に200V(100V)電気の供給+電動機(ファンやポンプなど)を動かす動力が主のもの
・【配電盤】→上2つの低圧とは違い6600Vの高圧盤。変圧器を用いて低圧に変換し、主に分電盤・動力盤への電気供給するためもの
「いやー、電気の知識がほぼ0なのに設計なんて無理や。そして入社してすぐ地元の工場じゃなくて東北の本社に1か月研修て。まだ出発してないけど既にホームシック。」(希望の部署は組立でした)
と初日からナイーブもナイーブ。
と、そんなこんなで研修も終え、地元の工場で制御盤をまず2年半、その後配電盤を1年間と会社独自のCADを使って設計をしていました。
最初は
「電気の知識ないのに設計なんてなおさら無理。そして絶対面白くない。」
と思っていましたが、まったくストレスも感じず普通に楽しくて職種的に自分にぴったりでした。
『じゃあ何でそんな会社を辞めたのか』
気持ちが揺れたのは仕事を始めて3年経った頃にふと
「このまま残り40年ずっと設計するのか。設計自体は嫌いではない、むしろ好きなんだけど、どうせ40年も同じ仕事をするのなら自分が本当にやりたい仕事に就きたい。」
と思い始めていました。
優しかった上司や先輩方にはたくさんお世話になり、その半年後退職の決断をしました。
先輩や上司からは
『次のところ決まってから辞めな』
と優しい言葉をいただき嬉しかったのですが、自分の中では
「このまま辞めずにずるずると引き延ばして、結局退職しなくなるな」
と思ったので、次の職場を決める前に辞めました。
自分のことは自分がよくわかる。
「こうなるだろうな。」って思ったら絶対そうなってる未来が目に見えてわかるので、そこはきっぱりと退職しその後クソニートとなります。
実際やってみないと分からないんですけどね。
1か月間は何もしたくなかったのでバイトもせず実家でダラダラと過ごし、何を本当にやりたいのかを考えてる日々でした。
そんなある日、地元の友達とたまたま自分の家で好きなスポーツクラブチームの試合を観ていたら、その友達が
「この前SNSでたまたま見たんだけど、ここのチームの専科がある専門学校の説明会が10月にあるらしいよ」と。
好きなチームだし、プロのスポーツ業界に将来就ける。神じゃん!
と、軽いノリで説明会にすぐ応募し説明会に行くことに。
入学後、実際にそのチームへの就職面接も行われることが決まっており、そのチームで働く人から学べる。そんな授業絶対面白いだろうし、普通に勉強したい!と思った説明会でした。
その後、個別の面談にも参加しその日に入試の手続きと試験代を払って学校に行くことをその場で決めました。
もちろん親には説明会に行くことは伝えていましたが、まさか入試を受けることなんて。しかもお金まで払ったなんて。
その日の夜、両親に自分の思いを話し、学校へ行くことを応援してくれて無事試験も合格し今に至ります。
『こんな長い記事を最後まで見て、結局自分のことをダラダラ書いただけかよ。』
と思いますよね。
書いた本人もそう思いながらタイピング中です。
結局何が言いたいかというと
生涯好きなことを仕事にしたい
これを原動力に
思うだけじゃなくて行動に移すこと
これが大事なんだなとしみじみ思います。
『今更仕事辞めて専門学校なんて。』
と思っている方も少なからずいると思います。
家庭持ちの方なんてなおさら難しいでしょう。
でも、1から学んで好きなことを仕事にすることを目指すことであなた自身の環境は少なからず良くなると私は思います。
やりがいのある仕事、好きなことを仕事にできる人なんて世の中で一握りだと思いますよね。
でも、そんな夢を持つ人達のための専門学校じゃないですか?
何事も少しずつの行動と決断を。
ありがとうございました。
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