百人一首
むかし、まだ子供たちが、中学生や、小学生だった頃。百人一首大会を、お正月には、学校行事の中で、やっていた。
それまでに、当然、覚える期間があって、それなり以上に、長男も、長女も、次女も、取り組んでいた記憶がある。
夜のデブ活で、コーヒーに、おやつが配給された。
心の中の、リトルkojuroが、ボソッとつぶやいた。
なんだか、配給が、多いな。
スナッキー(注1)としては、有難いけれど。
そして、よく見ると、なんだか、このおやつ、文字が書いてあって、カルタのようだ。
というか、カルタというよりも、これこそ、百人一首の、上の句、下の句、だろう。
ふと、この前の、生糸さんのつぶやきを、思い起こした。
家内に、問うた。
これって、百人一首だって、分かってた?
すると、家内が、こたえた。
ふーん、そうなんだ。
知らなんだ。
心の中の、リトルkojuroが、嘆きながら、つぶやいた。
ほら、全く、意識無しだな。
剥いて、中身を食べることに専念した、スナッキーだな。
そのまんま、無造作に捨ててある。
普通、あ、百人一首だ、くらいの気付き、あるだろう。
そして、更に、家内に、問うた。
百人一首ってことは、全部で百枚あるんじゃないの?
すると、家内がこたえた。
あー、なるほど。たくさん入ってるなって、思ったのよ。
たくさんあるから、コジくんにも、配給、弾んでおいた。
なるほど。だから、多かったんだ。
確かに、恐らく、百枚、入っているのだろう。この、量は。
送ってくれたのよ。お米と一緒に。
と、家内は、言った。
つまりは、実家の義母が、お米につけて、また、送ってくれた、貴重な、プレゼントなのである。これは。
パッケージが、金色のポリエチレン袋だけになっていたので、どこの、どんな商品かが気になり、調べようとしたら、家内が、先に、調べ始めた。
スナッキー一族は、個装袋が百人一首ということには興味は無いが、中身のスナックのことには、敏感なのだ。
すると、こういうものが、出てきた。
心の中の、リトルkojuroが、感心して、つぶやいた。
これは、凄い。
ほんとうに、百枚、百人一首だな。
そう言えば、思い出した。
長男が、百人一首を覚えるときに、何か、モチベーションを上げる読み物は無いかと探したら、漫画で、百人一首をテーマにした、秀作があるのだと、「ちはやふる」を、学校で、聞いてきた。
そして、そこから、むさぼるように、みんなで、読みまくった。
この作品は、感動ものだ。アニメでテレビ放送もされ、広瀬すず主演で、映画にもなった。
あいにく、私は、テレビをそれほど見ないので、アニメも、映画も、まだ、観ていない。
だが、聞くところによると、両方とも、なかなかの見応えだったと、映画好きの同僚が、言っていた。
そう言えば、長男も、長女も、かなりの努力をして、百人一首大会では、チームで優勝していた。
長女などは、iPodの、私の、百人一首アプリのランダム再生を駆使して、自主練習をし、表彰されるまでに至った。
長男も、長女も、百人一首の、神と、友達に言われていると言っていた。
次女は、それほどの執念を見せなかったが、ほどほど以上に、チームの戦力には、なったようだ。
家内は、隣で、ポリポリと、食べている。
家内は、活字が好きでは無い。
もっぱら、中身がお好きなようである。
実家から送られてきたお菓子のお陰で、マッサージがなくとも、家内は、上機嫌である。
家内が上機嫌ならば、我が家は、明るくて平和である。
ミッションを伴わない平和の有り難さをかみしめて、私の幸せな夜は、更けていった。
まさに、
これで、いいのだ。
(注1)スナッキーとは、スナックや間食が好きな人のことで、私が勝手に作った造語である。
【今日の登場人物】
生糸さんは、私の大好きな絵本、「もぐらとじどうしゃ」を、アイコンにされている。この、「もぐらとじどうしゃ」は、長年、どこかで手に入れられないかと、探していた絵本なのである。その縁で、コメントし、コメントしてもらい、という、お付き合いを、して頂いている。
エッセイも書かれ、空の、綺麗な写真を貼り付けておられて、それに、心癒されるのである。
最近は、朗読を、音声で、貼り付け、投稿されている。読み聞かせをされているからだろう。その朗読には、人を惹きつける魅力がある。
「もぐらとじどうしゃ」の朗読には、私は、感動を禁じ得なかった。