飲むカレー
カレーは、私の好物のうちのひとつである。そして、冬、衝撃的なTwitter投稿に出会ったのである。
ニューノマンさんは、最近遊びに行けていないが、noteの世界での友人の1人である。
そしてほどなく、ヒスイさんも、手に入れたと記事にされていた。noteの世界の、他の方々も、いろいろな投稿をされているのを、横で眺めていた。
私は、カレーが好きだ。だから、欲しく無いわけはない。
ところが、春先から家内があるプロジェクトに参画して、家にいなくなり。簡単な家事は、私が、ほとんどやることになった。
すると、休日も外に出られなくなって、ついつい、手に入れる動作を、出来なくなった。
7月の終わりのことだ。仕事で千葉まで行くことがあった。その時、京葉線の構内で、自販機を探したのだ。
だが、見つからなかった。
そしてその1週間、行動範囲の、ありとあらゆる自販機を探してみたが、終ぞ、見つからなかった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
これは、最終手段だな。
そして、私は、ポチッとな、と、ボタンを押したのである。
つまり、ネットで購入した。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
でも、ハッキリ言うと、邪道だな。
うむ。
そして、飲んでみた。
私は、美味しいと感じた。これは、いける。
だが、同時に、思った。
これは、ジュースやお茶のような飲み物ではない。むしろ、スープだ。スープのような、食べ物だ。
昔から、私の周辺の関西人は、カレーについて、名言を発した。
カレーは、飲み物である、と。
だが、やはり、カレーは、食べ物だ。
でも。
美味しいと感じたので、家族に、味の説明と共に、推奨してまわった。
家内も、長女も、次女も。みんな、拒絶した。
コジくんひとりで飲んで。
そして、異動で帰宅してきた長男に、慎重に勧めてみた。
いや、それは、コジがひとりで飲んで。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
長男よ、お前もか。
私の机の下には、ひとつの箱がある。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
独り占めは嬉しいけれど。なんか、複雑な嬉しさだな。
喜びは、分かち合ってこそ、幸せになれる。飲むカレーは、少し幸せになるには、時間がかかりそうだ。
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