バス賃
関西のおばちゃんの話、今日は、第2夜である。
小学校の、まだ、低学年の時のことだ。この記憶も、定かでは無いところが多い。だが、私の記憶は、つまらない、どうでも良いことは、よく、覚えている。登場人物の言葉については、ほぼ当時のままだが、100%では無いところは、どうか、お許しいただきたい。
あれは、私が小学校何年生のときのことだっただろうか。私の自宅は、山の中腹の、バスの、始点、終点だった。そこから、街中に出掛けるために、バスに乗った。
母が、バス停まで一緒に来て、見送ってくれた。そして、バスが発車するとき、バスのすぐ横から、言わなくても良いのに、こう、言った。
バス賃、あるよね?
そして私は、ぶっきらぼうに、こう、返した。
たぶん。
私の座席は、いつもの、一番前の席だった。その一部始終を、見ていた、私の、すぐ後ろの席に、関西のおばちゃんが、いた。
バスが発車してすぐ、その、おばちゃんが、私の肩を、優しく、叩いてきた。
バス賃、あるのん?
ちゃんと、持ってるのん?
私は、咄嗟には、おばちゃんが、何を言っているのか分からず、怪訝な顔を、して見せた。
そして、状況を、理解した。
あ、あります。
ほら。
でも、私は、少し小さめのポケットのズボンをはいていて、財布をうまく、取り出せなかった。
おばちゃんは、ニッコリ笑いながら、こう、言った。
あんなあ、これ、持っとき。
困らんように。
そして、お金を、100円、私に、握らせようとした。
え?
いや、お金、持ってますよ。
ぼく。
おばちゃんは、なお、ニコニコしながら、言った。
ええねん。
持っときって。
私は、ちょっと、説明した。
母にはぶっきらぼうに、こたえたが、バス賃は、持っていること。そして、ほんとうに、大丈夫なのだということを。
すると、おばちゃんは、なおいっそう、ニコニコしながら、今度は、無理矢理のように私の手のひらを開き、手の中に、100円玉を、握らせた。
心の中の、リトルkojuro(注1)が、首を振りながら、つぶやいた。
これは、いかんな。
完全に、お金を、持たせようとしてくれている。
有難いけれど、ちょっと、おばちゃんに、悪すぎる。
私は、おばちゃんに、また、訴えた。
ほんとうに、大丈夫ですから。
心配してもらわなくても。
すると、おばちゃんは、満面の笑みで、こう、こたえた。
おばちゃんなあ、あんたのお母さん、知ってんねん。
知り合いやねん。
だから、お母さんから、返してもらうから、大丈夫やで。
心配せんでも。
心の中の、リトルkojuroが、ボソッとつぶやいた。
そんなわけ、ないじゃん。
おばちゃんは、最後に、私に、こう、囁いて、ダメを押した。
お金いうのはな、いくらあっても、困らへんねん。
私は、悪ガキだったが、律儀では、あった。
帰宅してから、母に、その出来事を、正直に報告した。
すると、母が、言った。
あんた、あほちゃう?
知ってる人なわけ、あらへんやん。
それは、そうだ。
私の、すぐ後ろに座っていた、おばちゃんだ。
知っていたら、見送った母に、挨拶や会話を、しないわけが、ない。
そして、母は、続けた。
そんで、あんた、その100円、まだ、持ってるやろ。
ん?うん。
ほな、出し。
おばちゃんにもらった100円玉を、母に、まんまと、せしめられた。
当時は、100円玉で、いろいろと、買えた。何しろ、遠足のおやつの予算が、200円に定められていた時代だ。
私は、母も、関西のおばちゃんの、しかも、エグいほうだということを、すっかり忘れていたのだ。
心の中の、リトルkojuroが、項垂れながら、つぶやいた。
口は、災いの元。
そして、正直者は、バカを見る。
私には、今も、永遠に心に残る教訓がある。関西のおばちゃんに、もらった、あの、言葉である。
お金いうのんはな、いくらあっても、困らへんねん。
この言葉は、今だに、私の脳内を、永遠に、リフレインしている。
(注1)心の中の、リトルkojuroは、昔から、心の中に、いた。私の、本心でもあり、陰の、相談役でもある。まだ、noteの世界では、去年の夏頃から登場した。この頃は、正確には、リトルkojuroという呼び名では、なかった。だが、便宜上、リトルkojuroの、名前で、登場してもらった。