見出し画像

キャッチボール

父は、運動をするタイプではなかった。母も。兄も、そうだった。

父は、よく、本を読んだ。高校の世界史の教師をしていて、よく本を読むと言うよりは、論文を書いていたりして、いわゆる、勉強の虫だった。

私は、何とか、一緒に身体を動かしたくて、誘い出すが、なかなか、乗ってくれない。

でも父は、子煩悩な人だった。遊んでやろうという気持は、あったのだと思う。心の中に。


子供の頃の私には、よくわからなかったが、父が、吐血し、入院して、輸血が災いし、肝炎で、ずっと、闘病生活が続いた。父は、晩年まで入退院を繰り返し、パーキンソン氏病まで患い、闘病の人生だったと言える。


父が、まだ元気だったとき、キャッチボールをする約束をした。そして、一度だけ、キャッチボールをして遊んだ。

記憶が定かではないのだが、父は、あまり、上手ではなかったと思う。


そして父が二度目の入院をし、かなり、病状が悪化し、長期入院になったとき、母が、こう、言った。

コジ、ケーシー(注1)に、手紙を書いてあげて。

きっと、喜ぶから。


私は、父に、こう、書いた。

もう一度、キャッチボールをしようよ。

勉強、がんばるから。


そんな、内容だったと思う。


すると、母が、その面会の帰りに、父からの伝言を、預かってきた。


マンガ入りの、手紙の返事を書くから、待っていて、と。



実は、父は、かなり重い状態で苦しんでいたらしい。

母は、それが、ひょっとしたら、最後の手紙になるかも知れないとの覚悟の上で、私と兄に、手紙を書かせたのだと、後日談で、語ってくれた。


それを知らない私は、毎日のように、返事はまだか、まだなのかと、母に、詰め寄った。

そして、もう一度、手紙を書く。催促の手紙を書くと、駄々をこねたが、母は、静かに笑って、取り合わなかった。


そして、一月以上してから、返信が来た。今から思えば、それは、挿絵が入った、大作だった。

だが、マンガだと思い込んでいた私は、なーんだ、マンガじゃないのかと、少し落胆した。

当時の私は、約束の勉強もしないのに、文句をたれる、単なる悪ガキだった。


母は、そんなことは言わずに、お礼の手紙を書けと私に言い、私は、また、キャッチボールをしよう。勉強は、本当に、がんばるから。そう、書いた。


心の中の、リトルkojuro(注2)が、頭を抱えて、つぶやいた。

コジは、空手形ばかりだな。

人には厳しく、自分に甘い。


母は、笑って、その手紙を、父に、渡したらしい。

すると、父からは、短く、こう、返信が、あった。


わかった。勉強、本当に、したらな。


父は、その後も、入退院を繰り返した。そして少しずつ、完治はしないものの、悪化は、しないようになり、本当に、少しずつ、体力をつけていくことに、なった。


父とのキャッチボールは、2度目は、実現しなかった。


心の中の、リトルkojuroが、悟ったように、つぶやいた。

だって、コジ、勉強、がんばらなかったもんな。


確かに。確かに、そうだ。その通りだ。


実は、父とのキャッチボール、したことは、覚えているのだが、どんな様子だったかは、あまり、記憶にない。

代わりに、兄が、球技が苦手で、全く、サマにならない、いわゆる、運動音痴だったことは、記憶に強烈に残っている。


最近、ときどき、無性に、父と母が、私をバス停に見送りに来たシーンを思い出す。そして、ひとり、寂しくなる。


心の中の、リトルkojuroが、苦笑いをして、つぶやいた。

いい歳して、みっともないな。


なんだか今夜は、星を眺めたい気分になった。

そして、窓の外を眺めるでも無く、ゆめのさんの絵を、ボーッと眺めて、また、空想の世界へと、漂うように、入り込んでいった。



(注1)父は生前、特に、孫ができてから、孫から。あるいは、私や兄、義姉、家内を含め、家族から、「ケーシー」というあだ名で呼ばれていた。この時期は、正確には、ケーシーではなかったが、ここは、敢えて、ケーシーという呼称にしておこうと思う。

(注2)心の中の、リトルkojuroは、昔から、心の中に、いた。私の、本心でもあり、陰の、相談役でもある。noteの世界では、去年の夏頃から登場した。まだこの頃は、正確には、リトルkojuroという呼び名では、なかった。だが、便宜上、リトルkojuroの、名前で、登場してもらった。




【追記】

本来は、「今日の登場人物」として、まつおさんと、ゆめのさんのことを、ここで紹介するのだが、今日は、ゆめのさんの絵のことを、ちょっとだけ、書こうと思う。

過去に、こんな記事を書いた。

私の机の、ちょうど私の視線の先には、ゆめのさんの絵が、かかっている。そして私は、その絵をみつつ、ボーッとすることが、多い。

空想しているのである。

青い、宇宙の色の絵が、私に語りかけてくる。そこで得る発想が、いろいろな記事のもとになることが、多くある。

今夜も、そういう夜に、なりそうだ。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集