寂寥感
義弟の送別会に、我が家から私ひとり、義弟宅に訪れたのは、3月11日金曜日のことだった。
義弟は、転職をした。転職先を、遠く離島に求め、今までの仕事とは決別した。まったくの新天地を求めて、旅立ったのだった。
義弟には、もちろん、家族がいる。子供が3人。長男は一昨年社会人に。優秀で、高給取りである。長女は、まだ、大学生。一番お金がかかる時期である。そして、次男は、今度中学生になる。それでも、転職して、しかも単身旅立つことを選択した。
義妹も、長女も、長男も、結果的には、義弟に帯同することはしなかった。だが転職については、最後には、理解を示し、ケンカ別れにはならなかった。
私ならば、どうしただろうか。家族と、自らの決断で、離れて暮らすという、人生の選択を。私ならば、しただろうか。
義弟のことは、義弟でなければ、わからない。義弟には義弟の人生があり、義妹をはじめ、義弟の家族には、義弟の家族それぞれの人生が、ある。それぞれの人生は、それぞれが決めることである。
義弟一家は、15年前から隣町に住んでいる。だから、義母がこちらに来るタイミングも含め、みんなで夕食を食べようということで、たびたび、義弟の家に、集まった。
一番最近で、みんなが集まったのは、今年の年始のことだったか。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
あのときは、みんなで、ピザを頼み、ケンタッキーもあったんだんだっけ。
義弟は、義弟の長男との折り合いが悪く、よく、もめていた。そして、会社でのストレスだろう。不眠症を、よく、訴えていた。だが、その、年始の集合時。転職を決めたのだと突然カミングアウトした。
そして、こう、言った。
「転職を決めて、辞表を出したら、よく眠れるようになりました。」
その言葉が、印象的だった。私の、自問の種になるような言葉だった。
3月の中旬に、私ひとり、義弟の送別の会をしに、義弟宅を、訪れた。
私ひとりだったこともあり、義妹は最初は付き合ってくれたが、仕事帰りということもあり、義弟と二人きりになって。終電で義弟宅から引き上げた。
帰り道のことだった。それほど遅くない夜道をひとり歩いていると、突然、とてつもない寂寥感に襲われた。
どこかで誰かが、こう、囁いている。
もう、楽しい宴は、無くなったな。
子供たちも成長し、独立し。
ひとつの時代が、終わった。
諸行無常とはよく言ったものである。
子供の成長は、親の希望ではあるが、親は歳をとり、子供は離れていく。
義弟は、人生の後半にはいるところで、決断をした。
さて、私は……。
この夜は、一人寝に、寂寥感だけが残った。
家内は、あるプロジェクトに参画していて。そのプロジェクトの仕事が忙しくて、事務所の側のホテルに寝泊まりしていた。日曜日の深夜に戻り、月曜日の昼過ぎにはまた、ホテルに泊まりに行って、そこで仕事をしていたのである。
だがそのプロジェクトがようやく落ち着き、我が家へと帰宅してきた。
マッサージは、とんと、しなくなっていた。そのかわりに、家内の健康のことを心配をしていた。これならば、マッサージをしているほうが、よほど良かった、などと思った。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
さっちゃん(注1)が帰宅してきたら、これから、思う存分、マッサージができるね。
さっちゃん(注1)は、元気に、ソファーに座っている。今週から、通常勤務に戻るのだという。
さっちゃんの目が、私に微笑んでいる。
ミッション発動のサインだ。
マッサージをすると、家内は上機嫌である。
家内が上機嫌だと、我が家は平和である。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)我が家の家内の呼称は、「さっちゃん」である。さっちゃんは、女王陛下という別の呼称もある。だが、リキとの関係で、そもそもの飼い主が長男であることから、私は、おじいちゃんだが、家内に対して「おばあちゃん」なんて呼び方は、まかり間違っても、してはならないのである。