見出し画像

相撲

3月の末のことだ。よしあきさんの記事で、少し思い出したことがあるので、そのことから少し私の記事にしてみたい。

いや、大したことではないのだ。その、大したことはないことを記事にする。今日は。だから、ちょっと、気が引ける。


心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

いつも、大したこと、書いていないよ。


………。


よしあきさんの記事というのが、これである。

その中で、よしあきさんは、相撲=SUMOが、世界的な格闘技になる可能性があると述べられている。

勝負が早い、わかりやすいということを、その理由の一部として挙げられている。

私が書いたコメント
よしあきさんのコメント返信

上のコメントに書いているように、昔、祖父母と一緒に住んでいるときは、テレビは相撲と野球を、ずっと流していた。家族全員が、そのふたつの競技が好きだったのである。

私は、幼心に、相撲の土俵に上がってから勝負に至るまでの、塩を撒くところからの幾度となく続く仕切り直し。野球の、投手と捕手のサイン交換。牽制、タイムでの中断。そういう間合いが、大嫌いだった。

私は、幼少の頃から、悪ガキで、しかもセッカチだった。

だが、見ているあいだに、この間合いの取り方こそが、クライマックスへの盛り上がりなのだということを、理解するようになり、特にこの二つのスポーツが、殊更に好きになった。


長男を野球で大成させたくて、幼少の頃から教え込んだ。最初は素直についてきたのだが、やがて、しんどくなってきた。そして、まだ幼稚園の年長さんくらいだったある日、それが、爆発した。


グラブとボールを、地面になげつけて、長男は、こう、私に言った。

おとうさん(注1)の球は、きつくて、やってられない!


それは、長男が、私とスポーツをやることに対する決別宣言であった。それから、長男は、いっさい、スポーツをやらなくなった。


心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

本人の性格や好みをわきまえず、ヘタな英才教育をしようとするからだよ。


長男は、中学に入学してから大学を卒業するまで、一貫して茶道部に入り、表千家、裏千家ともに、その流儀を学ぶこととなった。

だが、長男が中学に入った頃からだろうか。スポーツを盛んに見るようになった。観戦、というスポーツとの関わり方である。そして、それはどんどんと広がりを見せ、NFL(アメリカンフットボール)、NBA(バスケットボール)、MLB(メジャーリーグベースボール)、競馬、F1(モータースポーツ)、テニス、ゴルフ、オリンピックなど、ほとんどのスポーツの観戦を、喜んで、するようになった。

そして、特段に長男が好きなスポーツは、相撲だった。

私は、長男に、相撲を教えたことは、残念ながら、無い。だから、自然に身につけたのだろう。相撲の楽しみ方を。

私にとっても、長男にとっても、相撲の面白さが世界に伝われば、すごく面白いと思うし。そうなってもらえたらと思うのである。



家内は、あるプロジェクトに参画していて。仕事が忙しくて、事務所のそばのホテルに寝泊まりしている。日曜日の深夜に戻り、月曜日の昼過ぎにはまた、ホテルに泊まりに行って、そこで仕事をしているのである。

マッサージは、とんと、しなくなった。そのかわりに、家内の健康のことを心配をしている。これならば、マッサージをしているほうが、よほど良かった。


心の中の、リトルkokuroが、ボソリと、つぶやいた。

父と長男。

血は争えないのか、因果は巡るのか。

親子は、知らず知らずのうちに、似るものなんだね。


やりとりからすると、さっちゃん(注1)は、元気なようである。


だから。


これで、いいのだ。



(注1)長男は、今は、私のことを、「コジ」と呼び捨てにする。長女が生まれ、長女が私のことを「コジ」と呼び始めてから、我が家では、私のことを名前で呼び捨てにすることが流儀となった。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集