![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/75791875/rectangle_large_type_2_9be45c8147be55f9bb74657c73a793f6.png?width=1200)
相撲
3月の末のことだ。よしあきさんの記事で、少し思い出したことがあるので、そのことから少し私の記事にしてみたい。
いや、大したことではないのだ。その、大したことはないことを記事にする。今日は。だから、ちょっと、気が引ける。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
いつも、大したこと、書いていないよ。
………。
よしあきさんの記事というのが、これである。
その中で、よしあきさんは、相撲=SUMOが、世界的な格闘技になる可能性があると述べられている。
勝負が早い、わかりやすいということを、その理由の一部として挙げられている。
![](https://assets.st-note.com/img/1649138148292-cokMQChrsi.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1649138215284-fl9P87qEaK.jpg?width=1200)
上のコメントに書いているように、昔、祖父母と一緒に住んでいるときは、テレビは相撲と野球を、ずっと流していた。家族全員が、そのふたつの競技が好きだったのである。
私は、幼心に、相撲の土俵に上がってから勝負に至るまでの、塩を撒くところからの幾度となく続く仕切り直し。野球の、投手と捕手のサイン交換。牽制、タイムでの中断。そういう間合いが、大嫌いだった。
私は、幼少の頃から、悪ガキで、しかもセッカチだった。
だが、見ているあいだに、この間合いの取り方こそが、クライマックスへの盛り上がりなのだということを、理解するようになり、特にこの二つのスポーツが、殊更に好きになった。
長男を野球で大成させたくて、幼少の頃から教え込んだ。最初は素直についてきたのだが、やがて、しんどくなってきた。そして、まだ幼稚園の年長さんくらいだったある日、それが、爆発した。
グラブとボールを、地面になげつけて、長男は、こう、私に言った。
おとうさん(注1)の球は、きつくて、やってられない!
それは、長男が、私とスポーツをやることに対する決別宣言であった。それから、長男は、いっさい、スポーツをやらなくなった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
本人の性格や好みをわきまえず、ヘタな英才教育をしようとするからだよ。
長男は、中学に入学してから大学を卒業するまで、一貫して茶道部に入り、表千家、裏千家ともに、その流儀を学ぶこととなった。
だが、長男が中学に入った頃からだろうか。スポーツを盛んに見るようになった。観戦、というスポーツとの関わり方である。そして、それはどんどんと広がりを見せ、NFL(アメリカンフットボール)、NBA(バスケットボール)、MLB(メジャーリーグベースボール)、競馬、F1(モータースポーツ)、テニス、ゴルフ、オリンピックなど、ほとんどのスポーツの観戦を、喜んで、するようになった。
そして、特段に長男が好きなスポーツは、相撲だった。
私は、長男に、相撲を教えたことは、残念ながら、無い。だから、自然に身につけたのだろう。相撲の楽しみ方を。
私にとっても、長男にとっても、相撲の面白さが世界に伝われば、すごく面白いと思うし。そうなってもらえたらと思うのである。
家内は、あるプロジェクトに参画していて。仕事が忙しくて、事務所の側のホテルに寝泊まりしている。日曜日の深夜に戻り、月曜日の昼過ぎにはまた、ホテルに泊まりに行って、そこで仕事をしているのである。
マッサージは、とんと、しなくなった。そのかわりに、家内の健康のことを心配をしている。これならば、マッサージをしているほうが、よほど良かった。
心の中の、リトルkokuroが、ボソリと、呟いた。
父と長男。
血は争えないのか、因果は巡るのか。
親子は、知らず知らずのうちに、似るものなんだね。
やりとりからすると、さっちゃん(注1)は、元気なようである。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)長男は、今は、私のことを、「コジ」と呼び捨てにする。長女が生まれ、長女が私のことを「コジ」と呼び始めてから、我が家では、私のことを名前で呼び捨てにすることが流儀となった。