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再び

去年、私の事務所の近くにいる、カラスの勘太郎の話を記事にした。

そして、それが由縁ゆえんとなり、私の通勤用のリュックは、勘太郎という名前がついているという話も。


冬になり、日の出が遅くなると、朝、交差点で勘太郎に会わなくなる。それが、この前の3月末、久し振りに勘太郎の姿を見かけたのだ。

ガードレールの上の勘太郎

勘太郎は、人を怖がらない。図々しいのである。でも、危害を加えることもない。交差点で会っているくらいの間柄では、無害である。

動物は、目を合わせてはいけないと、よく言うが、私は、時々、勘太郎と目を合わせてしまう。

私の思い込みかも知れないが、その、屈託のない目つきは、人懐ひとなつこさを感じさせてくれる。

今回は、動画も少し撮れた。

ちょっとだけ、掲載してみようかと思う。


これから、夏至に向かう。私は、会社からの指導で、それほど早く出社しなくなってきたから、勘太郎に会う機会が、ひょっとしたら、それほど無いかも知れない。

毎年とは違う春を過ぎ、初夏となり、そして夏がやってくる。何が起ころうとも、季節は巡るのである。


カラスの寿命は、いくばかりかは、正直、知らないし調べたことがない。私の、今の会社でのサラリーマン生活も、そろそろ終わりに近づいている。勘太郎との縁も、どこまでなのだろうか。


もう遅きに過ぎているが、就活も、終活も、やり始めねば。私の方を向いた勘太郎が、私ののらりくらりを、笑っているように思えた。

勘太郎は、人のことを気にしない



心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、つぶやいた。

そろそろ、本腰を入れて人生の締めくくりをせねば。

1度きりの人生だから、悔いなく。


家内は、あるプロジェクトに参画していて。仕事が忙しくて、事務所のそばのホテルに寝泊まりしている。日曜日の深夜に戻り、月曜日の昼過ぎにはまた、ホテルに泊まりに行って、そこで仕事をしているのである。

マッサージは、とんと、しなくなった。そのかわりに、家内の健康のことを心配をしている。これならば、マッサージをしているほうが、よほど良かった。


心の中の、リトルkokuroが、ボソリと、つぶやいた。

手持ち無沙汰てもちぶさたでいると、明日の朝、勘太郎に笑われるよ。



やりとりからすると、さっちゃん(注1)は、元気なようである。



だから。


これで、いいのだ。




(注1)我が家の家内の呼称は、「さっちゃん」である。さっちゃんは、女王陛下という別の呼称もある。だが、リキとの関係で、そもそもの飼い主が長男であることから、私は、おじいちゃんだが、家内に対して「おばあちゃん」なんて呼び方は、まかり間違っても、してはならないのである。

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