祖父
母方の祖父のことである。
幼い頃、幼稚園の年長にあがるまで、私は、母方の祖父母と同居していた。
祖父は、仕事は引退していたものの、何だかんだと、あちこちに呼ばれていたのだろう。外出していたことが多かったので、私は、祖母との日常の接点の方が、強かった。
祖母は、優しく気丈な人だった。祖父も、昔かたぎの人ではあったし、祖母とは時に、けんかもしていたが、孫には優しかった。
祖父は、商家の出だと聞いた。家は、当初、米屋をしていて。祖父がまだ、少年だった頃、米騒動で大変だったそうだ。
祖父自体は、商才よりも、政治や演説などが得意だったようで、いろいろなところに呼ばれて、手伝っていたようだ。
祖父の口癖は、来年は、もう、いないかも知れない、だった。
つまり、人間、いつ死ぬか、分からない、ということだ。
病弱な自分が、まだ、生きているということが、信じられないのだとも、言っていた。
幼少の頃は、心配になって、母にそのことを言うと、かまって欲しいのではないかと、笑ってこたえた。
とは言え、祖父は、私が大学受験の日まで、長生きした。
野球と相撲が大好きで。あの、勝負の間合いが良いのだと、いつも、言っていた。
記憶力が抜群で、死ぬ間際まで、私と、プロ野球談義をしてくれた。選手の名前と特長を、ほとんど頭の中に入れていたのだ。
あの頃、インターネットも無いし、野球年鑑などが書店に売っていたわけではなかったから、新聞のスポーツ欄などからこまめにデータを頭の中に入れていたのだと思われる。
大学受験の日が来た。共通一次の前の日の夜、私が図書館での勉強を終えて帰ってくると、母が、自分たちは、お通夜に行くが、コジは、明日があるから、試験を終えてから、お線香をあげにいけ。それが、祖父の遺言だと、伝えてくれた。
私は、見事に受験に失敗したのだが、周囲は、祖父が亡くなったことも影響していたのだろうと慰めてくれた。
だが、私には、そのことが、なおさら、悲しかった。
なぜならば、受験に失敗したのは、単に、私の実力がなかったからで、祖父が亡くなってしまったことの影響なんて、微塵も無かったのだ。私本人が、一番よくわかっていたからである。
厳しい人ではあったが、孫には、優しくしてくれた祖父。
夏の終わりに、急に、思い出してきた。
残暑は、まだ、厳しいが、夏が、もう終わり、秋が来る。季節は、静かに、巡っていく。