季節外れ
今頃になって、まさに、季節外れもいいとこ、だが。去年の秋のある日のことを書こう。
それは、10月23日の昼過ぎのことだった。この季節に聞き慣れない音を聞いた気がしたのである。
それは、蝉の鳴き声だった。
ちょっと力無く。しばらく鳴いていた。しかも、マンションの廊下あたりから、その、セミの鳴き声が聞こえてきた気がした。
いくらなんでも、この時期に。たぶん、空耳だろうと思っていた。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
とうとう、コジも、耳がおかしくなってきたか。セミ鳴き声の耳鳴りがするなんて。
確か、セミの鳴き声を聞き、セミ本体を目視して確認できたのは、10月の初日の日曜日。10月1日で。場所は、近くの公園。セミの種類は、ツクツクホウシだった。
その時、今年は、最後のセミが粘るな、なんて思ったのだ。
10月1日でも、かなりのビックリだが、10月23日など、ギネスに乗るほどの記録的粘りだ。
そんなこんなを、少し暖かかった昼過ぎのアンニュイな日差しを浴びつつ、半分閉じそうになる目を、皿洗いの手の親指の根っこで擦りつつ、考えた。
夢だ。白昼夢だ。これは。
何だかんだで、夕方まで家事をして。noteやTwitterの記事をスマホでイジりながら過ごしていると、ほどなく日が落ちた。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
コジ、ウォーキングの時間だ。
私は、検診の結果、要管理者となっていて。一日に最低でも7,700歩は歩こうと、心の中のリトルkojuroに、誓っている。
日曜日などの休日は、ともすれば、外に出ず。歩数も稼げないまんま、日が落ちるのである。
スマホのCokeONの歩数を確認すると、まだ1,885歩だ。いかんいかん。
私は、すぐにクロックスに履き替えた。そして、ゴミ袋を持ってエレベーターホールに向かった。
ダストハウスにこれを出したら、階段を上る。住んでいる階まで。だが、一気に階段を上る体力は無いので、東の階段を一階上れば廊下を歩いて。西の階段をまた一階分上る。そして、それを繰り返し、上っていく。
私は、これを、「マンションくねくねウォーク」と、名付けている。
立派な運動だと自負しているのだが、子供たちは、不審者として通報されないようにと忠告をくれている。
だが、私は、気にしない。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、付け加えた。
気にしろ。少しは。
ところが。階段を上るのもあと少しというところで、踊り場に、何かが横たわっているのが見えた。
心の中の、リトルkojuroが、驚いて、呟いた。
ミンミンゼミだ。
昼間のセミの鳴き声は、ひょっとしたら、このセミだったんじゃないのか……。
可哀想だが、もう、事切れていた。
本来は、セミの亡骸は、下に降ろして地面に埋めて。懇ろに弔うのがセミレスキュー隊員としての役目だが。ここは、ちょっと急いだ。それが仇となるとはつゆも思わず。
心の中の、リトルkojuroが、手を合わせて、呟いた。
すまない。また、もう一度回ってくるから。その時に。ごめん。
マンションくねくねウォークは、上がり下がりを繰り返す。登りも降りも一巡で約1,500歩。目標の7,700歩には、あと、一巡半というところだ。つまりは、セミの亡骸は、下りるときに確保すれば、弔うことが出来る。
上ったときに、家に戻りスコップを手にして。マンションくねくねウォークで、降りていく。
ふと、清掃員さんとすれ違ったのだ。挨拶を交わす。そして、階段を下りていくと、セミの亡骸は、既に消え去ってしまっていた。
……。
その日の夜、ソファーに座って。この一部始終を家内に話すと。
家内が、こう言った。
夏にレスキューしたセミが、恩返しに来ようとしたんじゃない?
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
3ヶ月も前だ。それは、あり得ん……。百万歩譲って、だったとしても、あんまりだ……。
セミレスキューの、どちらかというと爽やかな話が、途端に、もの悲しく切ない話になった。
マッサージをすると、家内は、上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は、明るくて平和である。
だから。
これで、いいのだ。
■追記■
面ゆるって、なに?
それは、これ。西尾さんはじめ、みんな、面白い作品をあげていて。
私は、だいたい土曜日の夜に、そこそこの過去記事をあげています。
もしも、お時間があれば、みんなの作品、読んで頂けたら幸いです。