意味
ここ数年、年賀状は、ネット発注のシマウマで出している。
住所録も登録していて、それのメンテナンスで宛名はOK。あとは、デザインをテンプレートから作成してボタンをひとつ押すだけで、完成した年賀状が翌々日には手元に届く。とても便利だ。
そしてそれを記事で投稿したりして。
だが最近は、もう、年賀状のやりとりをやめてしまう、「年賀状じまい」が、私たちの世代でもすごく増えていて。
ちょっと昭和風に、嘆いてみたりすると、家内や子供たちからは、年賀状なんて、そもそも書かないし、出さないのが今の流儀だとたしなめられる。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
なるほど、そうか。コジは、既に遅れているのだな。だいぶん。
かつて年賀状の監督官庁で商売をしていたこともあり。年賀状をとりまとめたりしていたこともあった。そんな流れで、最盛期は500枚ほど出していたのだ。
あの頃は、コンプライアンスもそうそう意識されていなかったし、部内では年賀状のやりとりも、正月に部長宅に集まって宴会をするなんてことまであった。
古き良き、面倒くさい時代だった。
今年は、140枚出すこととなり。家内と住所確認の読みあわせをしていて、さしもの家内も、枚数の激減に驚いていた。
ちょっと正月早々からめちゃくちゃに忙しかったこともあり、到着した年賀状を、じっくり読み直すこともなく1月の末となり。
またもや年賀状の整理は、月をまたいだ。
そんなこんなを語らおうとしてソファーを振り向くと、家内が足を指さして少し眉間に皺を寄せつつ言った。
シマウマ、また、今年、やる必要、ある?
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
まだ、2月よ……。年賀状でしか繋がっていない人もいるし……。
ひとまず自主トレ(注1)を申し入れ、夜ごとのミッションに、今宵も勤しむ。
マッサージをすると、家内は上機嫌になる。
家内が上機嫌だと、我が家は平和である。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)私は、家内のマッサージを、よくする。家内に促されずに、自らの申し出で家内のマッサージをすることを、自主トレと、勝手に呼んでいる。