黄色
私は、プライベートでは、いつもクロックスを履いているのであるが、夏は、黄色いクロックス。冬は、防寒つきの黒いクロックスを履くと決めている。
このご時世になり、スポーツをしている次女の試合を含めて、試合観戦に行けなくなる時代に突入するとは、思ってもみなかった。
そして、2年前に買い換えた黄色いクロックスは、すべての私の行動がストップして、長きに渡ってお蔵入りをしていたのである。
今年になり、家内が家を空けている間は自由な行動は出来なかったが、ようやく春頃には、次女の試合を含めて、少しずつスポーツ観戦などの人数制限が無くなってきて、私自身が外に出て行動をすることが出来るようになってきた。
そして、封印しかけていた黄色いクロックスを、おろしたのだ。
なんのことはない。ただの、黄色いクロックスだ。
だが、これは、私の、自由な野外観戦活動の象徴のようなものだ。
まだ、かつての日常は、十分には戻ってきてはいないが。そしてまた、ご時世が変わってきているのだが。とにかく、始動した。
次女は、小学校の1年生から、あるスポーツをやっていて。たいして強いチームではなかったが、中学からはそこそこの強豪校に入り、そのまんま、大学まで来た。
多くのスポーツにおいて、親の関与や付き添い、支援というのは、子供はもちろん、チームからも求められる。ほぼ、土日は、練習試合となり、多くの場合、それは、県をまたがる遠征である。
配車、給水、食事、買い出し、応援。トラブルがあれば、それについても父母会代表の指示に従い、すぐに動く。
私の、黄色いクロックスは、履いたり脱いだりがし易く、ある程度小走りしても問題なくこなしすことが出来た。ここ、10年以上。特に、小学校の高学年、中学、高校卒業まで。さすがに、大学に入ってからは、親の関与は、応援以外、ほぼ無くなったが。
チームのみんなからは、黄色いクロックスを見ると、コジさんを思い出す、と言われるくらい、私の、代名詞だった。
次女は、いろいろな選抜チームには選ばれるものの、各年齢層の日本代表チームには、終ぞ召集されなかった。そのことについて、親子では何も語り合わなかったが、次女は、見切りをつけたのであろう。大学での引退を心に決めている。
つまり、今年が、現役最後のシーズンなのである。
世界は狙えなかったが、日本一を掲げて、春のリーグも戦った。だが、思いとは裏腹に、思ったような結果は残せなかった。
先月、東日本インカレがあった。前代未聞の初戦敗退だった。この後、秋のリーグを経て、年末に、最後の最後のチャレンジ、全日本インカレがある。そこが、正真正銘、最後の最後のチャレンジだ。
この黄色いクロックスは、おそらく、秋のリーグまでは、履く。冬には、黒い防寒つきのクロックスを、新調する。
次女の姿を、ラストシーズンを、クロックスと共に見届けていこうと思う。
この黄色い色が、ハッピーエンドを連れてくるのだと信じて。