ファストパス
古い、ディズニーシーのパスがある。長女がまた幼いときに、身長が低くて。制限に引っかかって、1人だけ乗れなかった時の、参加証明書である。
身長が制限を超えたら、その時は待たずに乗れるという特典がついている。
噂には聞いていたが、ディズニーは、なんとも粋な計らいをしてくれる。
その、乗れなかった日が、2002年12月31日と書いてある。恐らく、カウントダウンを見に行った時のものだ。長女は、1998年9月生まれなので、満4歳になったばかりの時の、思い出の参加証明書である。
これは、長らく家に飾ってあった。それから幾度となく、長女は、ディズニーシーには出かけているはずである。だが、これを使うことは無かった。
長女が我が家に帰ってきて、再就職が決まるまでに、まずは、ディズニーシーに行きたいということで、次女と2人で行ってきたのであるが、その時に、使うようにと家内が持たせた。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
激務だったもんな。ちょっと、ゆっくりも、したいよな。
夜、報告が入ってきた。
まずは、長女からである。
まあ、早く入れたとのことだった。
だが、すかさず、次女から修正が入った。
長女は、どうでも良いというような反応を見せた。
ディズニーシーは、かなり大幅な入場制限もやり。そしてさらに、乗り物にも、搭乗制限もしている。それでも、20分待ちくらいのものなのだ。
かつて、このご時世になる前。夏期休暇中などならば、1時間以上待ちは、ザラだったことだろう。本当は、そんな時に、使いたかったに違いない。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
そもそも、そのアトラクションに乗りたいのかどうか、ということも、あるかも知れないな。
このご時世。潮目が一気に変わるのは、いつのことになるのだろう。
あるいは、一気に変わらず、そのまま、生暖かく続いていくのだろうか。
人は、恐らく。困難に直面すればするほど、起きてくることを素直に受け止めて、諦念を持ち続けて淡々と生きるしかないのだろうと思う。
我が家の長女のこの、ファストパスは、ものを言わず、ただ、役目を終えて、静かにこのご時世を見つめている。