東京豚饅
私は、神戸に長く住んでいた。少なくとも就職するまで。学生時代を含めて、20数年間住んでいて。でも、人生においては、すでに神戸を出てからの方が、長くなった。
豚饅というと、私は、神戸南京町を思い出す。あそこは、どんな豚饅でも美味しいのだが、その中でもお気に入りは、老祥記の豚饅であることは、去年、記事に書いた。
3月の中旬の金曜日のこと。隣町に住む義弟から、豚饅を買ったので、どうやったら渡せるかとLINEが入った。
たまたまその金曜日。休みをとって、定期検診の日に当てていて。帰りに自宅に寄るから渡してくれと返答した。
手に入れたのが、これだ。
こんな、解説までついている。
大阪からの帰りに、ちょっとお土産というと、551の蓬莱というのは、定番である。このご時世になる前は、夕方の空港のお店は、長蛇の列だった。
その551と由縁のある豚饅らしい。義弟によると、551よりも美味しく、気に入ったとの話だった。
義弟からもらい、帰宅したが、次女は、クラブの同期会で同期宅に泊まるという。家内は、仕事であるプロジェクトに参画していて。ホテル住まいだ。長女と、二人で食べた。
長女曰く。
美味しいけれど、551との違いは、わからなかった。
私も、食した。たまたま翌週日曜日の深夜に家内が一時帰宅して。食したが、これは、反応がなかった。
ただの、美味しかった。だった。
そして次女は、外泊を二日連続でしてきて。とうとう、食べなかった。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
こうちゃん(注1)に、悪いね。
確かに、美味しかった。だが、義弟には悪いが、私には、南京町の豚饅が、心の豚饅なのである。そこは、どうしても、譲れない。
私はたまたま、東京に転勤して。関西で震災には遭遇しなかった。神戸は、かなり変わった。季節は巡り、時は過ぎ去っていく。
諸行無常である。
だが、この、東京豚饅を食べて、確実に思ったのは、美味しいということの他に、今度のまとまった休みに関西に帰ることがあれば、神戸の南京町で必ず豚饅を食べたいという気持ちが強くなったことだった。
私にとって豚饅は、私のしょっぱい青春と、今の神戸を繋ぐ、太い線なのである。
今の若者は、自分の生い立ちの中で思い出したくない時代を、黒歴史というらしいが、私は、おっさんなので、「しょっぱい」と表現しておこう。
心の中の、リトルkojuroが、ボソリと、呟いた。
黒歴史という言葉の出どころは、『∀ガンダム』らしいから、そうそう若者言葉でも無いな。
ふふ、リトル、無駄な雑学王だな。
家内は、あるプロジェクトに参画していて。仕事が忙しくて、事務所の側のホテルに寝泊まりしている。日曜日の深夜に戻り、月曜日の昼過ぎにはまた、ホテルに泊まりに行って、そこで仕事をしているのである。
マッサージは、とんと、しなくなった。そのかわりに、家内の健康のことを心配をしている。これならば、マッサージをしているほうが、よほど良かった。
心の中の、リトルkokuroが、ボソリと、呟いた。
さっちゃん(注1)にも言っていない、しょっぱい思い出。
あるね。
季節は、巡るね。
やりとりからすると、さっちゃん(注2)は、元気なようである。
だから。
これで、いいのだ。
(注1)こうちゃんとは、義弟のことで。義弟は、この春から転職して離島に移り住むことになっている。
(注2)我が家の家内の呼称は、「さっちゃん」である。さっちゃんは、女王陛下という別の呼称もある。だが、リキとの関係で、そもそもの飼い主が長男であることから、私は、おじいちゃんだが、家内に対して「おばあちゃん」なんて呼び方は、まかり間違っても、してはならないのである。