グリングリン
もう、20年ほど前の、転勤した先の、職場の話だ。私の課に、私よりも5年ほど下の後輩、Y氏が、いた。
性格は、優しくて、頼り甲斐があり、しかも、頑張り屋だった。
当時は、メールなどの文化は、まだまだ定着していなかった時代で、事務所にかかってくる電話を、固定電話で受け継ぎ、電話で会話することが多かった。
Y氏のその時の担当が、少し、厄介な業界だった。それでも彼は、文句も言わず、長時間食い下がられていても、我慢強く対応していた。
ところがある日、少し、驚いた。
長い電話のやりとりの中で、Y氏が、持っていたボールペンを、机の上に、投げ捨てたのである。
最初は、見間違いだと思ったが、よく見ると、机をガツンと叩いたり、足踏みしたりして、イライラしているのである。
決して大騒ぎしたり、言葉がきつくなったりすることは無かったが、かなりの長時間粘られて、なかなか切ることの出来ない電話に対しては、イライラしているのがわかった。
日頃、性格の良い彼だけに、ちょっと、衝撃的でもあった。
だが同時に、よほど、腹に据えかねるのだろうと、心中を察したりも、した。
彼も、私も、職場の草野球チームに所属していた。休日は、時々、試合がある。彼は、同期の女性と結婚していた。その女性も同じビルにいたのだが、家族ぐるみで試合に出かける人が多く、彼も、奥さんや子供を連れてきていたし、私も、当時幼かった長男や家内を、よく連れて行っていた。
ある日、試合が終わって、家内と車で帰っている道すがら、家内が言うのである。
Yさんは、仕事、キツいの?
うん。まあ、担当の業界が、少し、ややこしいかな。
すると、家内が言った。
家でも、ちょっと、夜、寝られないときも、あるらしいよ。Yさんの奥さんが言ってた。
そうか。悩み、もっと聞いてあげなきゃならないかもな。
家内が続けた。
Yさんの奥さんが言うのよ。コジさんのように、陽気な性格の人は、家でも、陽気なんですかって。羨ましいって。
へえ。で、なんてこたえたの?
たいていは陽気ですけれど、私に冷たく当たる事もあるから、見かけだけですよ。みんな、一緒じゃないですかって、言った。
ふーん。そう……。
この時、心の中のリトルkojuroが、呟いた。
暗に、コジの悪口じゃん、それ。
だが、私は、言った。
ありがとうね。慰めてあげてくれて。Y氏の、奥さんを。
ほどなくして、あるとき、私と、同じ課の先輩と2人で深夜残業をしていた時、あるものを発見した。
それは、Y氏の席の、固定電話の、受話器のコードの絡まりである。
彼の受話器のコードだけ、グリングリンに絡まり、それを解くのに、コードを持ち、受話器を下にして垂らすと、延々と回り続けた。
よほど、こんがらがってたんだろうなあ。
見かけは、そんなふうに見えないのに、なあ。
そう、先輩が言った。
その先輩も、私も、Y氏も、何回か転勤し、バラバラになったが、3年前から、私は、Y氏と、部署は全く違うが、また、同じビルの事務所に勤務している。
こんなご時世ではあるが、時に、会議室周辺で、見かけることがある。
Y氏は、相変わらず、腰も低くて、愛想も良い。性格は、間違いなく、良いし。男としても、私は、密かに尊敬している。
誰しも、仕事のプレッシャーを、抱えている。そして、どうにかこうにか、それを、乗り越えたり我慢したりしているのだろう。
いつか、また、Y氏や、当時の仲間と、当時のことを笑って語り合えるような、かつての日常が、戻ったら良いのにと、思う。