私のことを褒めてくれた人たちへ
やば。いつにも増して自意識過剰みをはらんだタイトルをつけてしまった…。
自分のことを褒めてもらった時
その人に対してどのような反応あるいは言葉を返すだろう。
「いやいや、そんなことないですから」謙遜という名の卑下系か
「(えへへ)どうもありがとう」受け入れ承認系か
「え〜、そうですか?」どっちにも転べるグラデーション系か
もちろん上記以外のバリエーションはあれど、
私の体感では(私が褒める側の場合)ざっくりこの3種類の反応が返ってくる気がしている。
以前の私は褒めてもらった時、謙遜という名の卑下系をやっていたが内心ではとても嬉しかった。なので最近はありがとうと受け取るようになった。
謙遜は卑下とは違うのだから。
卑下って何のためにするのだろう?卑下することって必要なのかな?
人によってそこへいくまでに様々なレイヤーがあると思うけれど
誰かに褒めてもらった言葉を自分の手で歪めることなくそのままのかたちで受け取ることに抵抗を覚えるのだとしたら、そのうぐぐ…って感じがどういう所から来ているのか検証くらいしてみてもいいのではないかな。
ちなみに私は「いい気になってる、自惚れてらぁ、なんて思われちゃうかな」という気持ちから
「いやいや〜(以下略…長め)」と言っていたのを私なりに検証してみたら
褒められた→いい気になり調子に乗った→や、そら良い気分になるよね→それでも良くない?アッパレ。といった結果に。ハァ、因も果も軽い…とは思うのだが
自己否定のレイヤーを掘る旅に出たとて、なかなか帰ってこられなくなりそうなのでそこのところはバッサリ割愛させてもらう。
私ってこんなにできないしホントだめだめなんだよね。と相手に伝えることと
私こんなこともできちゃうしホントすごいんだよね。と言うことはさほど変わらないと思う。
自分をこう見て欲しいというコントロールを含んでいるということにおいては。
相手が自分をどう印象付けるかは相手の自由であるし、また相手の抱いた印象がほんとうの私でもない。
なので、仮にお世辞や本心ではない褒め(って何となくわかるような気もするのだけど)があったとして「いやいや、私そんなできた人間じゃないんで」と返すことのなんとややこしいことか。不毛、はいこの空間不毛。お互い他にやることあるよね。
自分を褒めてくれた目の前の人の顔をよく見てみて。あるいは想像してみて。
私が逆の立場なら、あなたのいいなって思うところを伝えられることが嬉しい。
それがいつでも気軽にできたなら尚嬉しい。
結局、解釈ってそういう風に主観でしかできないや。
どうもありがとう。
私を褒めてくれた気持ちはプレゼントだと思うから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?