他責

他責がもたらす恩恵と罠

みなさんは嫌なことがあった時、不都合な問題が発生した時、上手く他責を使えていますか?

他責というと「人のせいにする」というその意味合いからネガティブなものと誤認しがちですが、実際のところポジティブな側面も備えています。

目次

1.他責というスキル
2.適度な他責は人の精神を健全に保つ
3.使いすぎると殺される

他責というスキル

【スキルとして使いこなす】

勘違いの無いように言っておきますが、他責を常用的な手段として使うのは推奨できません。それが何故かについては後で述べます。

ここで私が言いたいのは、飽くまで「スキルとしてコントロールすると有益」ということです。

【他責NGという教訓】

私の前職では社訓?として「他責NG」というものがあり、かく言う私もそれを盲信していました。

他責は悪で、問題解決に対する思考を停止する。それは至極正しいことだと思いますし、今でもこの教えは忠実に守っています。

【自責オンリーで苦労した】

ですがこの教えは飽くまで合理的な考えに基づいたもので、合理性を度外視した精神衛生面から見ると、危険な側面が見えてきます。

ただでさえストレスが多いこの日本という国で、この教えを守りすぎると人は壊れてしまうのです。

かく言う私も自責オンリーで死にかけました。他責は他責で楽ですが、自責も自責で楽なんですよね。全部自分のせいにすれば後は思考しなくても「私の能力不足」で解決(正確に言えば先延ばし)できるんで。

でもそれは思考の停止に他ならないのです。

適度な他責は人の精神を健全に保つ

【スキルとして使うことでレジリエンスを高めてくれる】

重要になってくるのは、他責のタイミングをコントロールできるか否かです。

この世界には当人では解決し得ない問題も山のようにあるでしょう。

その全てを自責で片付けていくと、人はかなりの確率でこわれます

それらの問題は大抵の場合、時間の経過とともに優先順位が下がり消化されていくことが多いですが、この時間の経過速度に対し自責の山が閾値を超えてしまうと、人間はこわれます。これに関してはまた後述します。

世間で言われる「意識が高い人」は特にこれが原因でこわれやすいですね。

「なんで自分はこんなに無能なんだ」って感じで、キャパがパンクする感じ。

そんな人を助けてくれるのが他責というスキルです。

【スキルとして使うタイミング】

スキルとして使うタイミングで最も有効なのが

>この世界には当人では解決し得ない問題も山のようにあるでしょう。

ここです。もっとフランクに言えば、「浮気されて別れてしまった彼女のことを考える」とか、そういうところでしょう。

全ての失敗に対し「反省」は重要ですが、「後悔」は全くもって非建設的な思考だと思います。

はっきり言ってどれだけ後悔したところで無駄じゃないですか。もうちょっとかまってあげればよかったな、とかそういった反省は次に繋がるかもしれませんが、懺悔を含む後悔なんて豚のエサにもなりません。

そういった自分ではどうしようも無い事象、現象に対して、他責というツールは不必要な精神への負担を軽減してくれます。

だって普通に考えたら浮気した彼女が悪いじゃないですか。

それでいいんですよ。それ以上考えても何も生まれないし、不毛な時間を割くだけです。

使いすぎると他責に殺される

【閾値を超えると始まるデッドループ】

先ほど説明したとおり、小出しのスキルとして使うのであれば自己防衛にとても有効ですが、これが手段として習慣づいてしまうとデッドループ(死の連鎖)が始まります

他責というツールを常用的に使っていると、問題に対して思考をやめる習慣がつくことは容易に想像がつきます。

目の前の問題に対し目をそむけ、解決を試みない状態が当たり前になってしまうわけですね。

【他責の常用化で人は死ぬ】

目の前の問題から目をそむけることで一見ストレスに対処できているように思えますが、長期的に見ると、それが原因で人はこわれます。

目の前の問題が解決されないということは大小様々な問題の蓄積を意味します。

それが他責の常用化によって「負の資産」としてその人の中、ないしは取り巻く環境にどんどん溜まっていくわけですね。

もちろん時間が解決してくれることもあります。というより、その場合がほとんどです。

ですがその解決を手助けする時間の速度を負の資産の蓄積速度が超えたとき、あることが起こります。

「人のせいにし尽した」状態になるのです。

そうなってしまったら最後、他責が解決策になることはもうありません。

【自己防衛のはずだったスキルに殺される】

そうなった場合、大抵の人は

・鬱状態
・人間不信

になることが多く、ここから立ち直るのは容易なことではありません。

立ち直るための一歩として、まず認めなければならないですからね。これまで自分が他責にしてきたことが間違いだったと。これまでの過ちに対し自責を行う必要があるわけです。

ですが上の状態になった人はレジリエンスが極端に落ちているため、このタイミングで自責をしようもんなら自分の存在の意義すらを問いかねない。

それを避けるためにも、本能的に脳はその手段をとりません。とれません。

このように、「自責が解決手段になるにも関わらず自責という手段を取ると死ぬ」デッドループが始まるのです。

これは造語ですが、言わば「死ぬまで死に続ける」って感じですかね。

ほどほどに人のせいにしよう!

私は専門家ではないので、自責や他責に殺された人を救うことはできません。ですが、今後なる可能性のある人の目にこの文が触れることで、もしかしたら死を予防できるかもしれません。わかりません。

まぁ上手くまとめると、自責ばっかしてる人はほどほどに他責して、他責ばっかしてる人は無理をしてでも自責ベースの思考を取り入れないと苦労するよ!ってことです。

さぁみなさん、上手く他責を使ってこのストレス社会を生き延びましょう。

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