起こりうる日常を描くマンガ
定期的にYouTubeの「あなたにピッタリの再生リスト」に出てくる、秦 基博×あだち充によるコラボレーションの「鱗」。
名作『タッチ』のアニメ放送時、私は幼稚園児でした。
双子のきょうだいっていいなと思っていたら(パーマンのコピーロボット的発想)、弟が無くなるという衝撃の展開。
幼稚園児には、かなりのインパクトがありました。
当時の私には、登場人物3人の恋模様なんて全くわかりませんでしたし、そもそも放送されているから見る、くらいの感覚だったと思います。
次に私があだち作品に出合うのは『H2』。
中学生だった私は、週刊誌「サンデー」の連載ではなく、コミックが出てから読んでいました。
そう、ここまでであだち作品の読者であれば2つの作品の共通点が見えてくると思いますが、両方とも作中で登場人物が亡くなります。
『タッチ』では主人公の弟。
『H2』では主人公の幼馴染のお母さん。(と佐川兄)
その他『クロスゲーム』では主人公と相愛だった幼馴染が命を落とすなど、あだち作品では人が亡くなります。
あだち作品ではなぜ死の描写が多いのか。
「鱗」の秦さんの柔らかい歌声を聴きながら、高校生の時のことをふと思い出しました。
『H2』を読んでいたころ、『病院で死ぬということ』という本に私は出会っています。
著者の山崎先生がおっしゃっているように、多くの日本人は病院で亡くなります。
ちょうど病気で祖母を亡くしたあと、にこの本を図書館で読んでいました。
車にはねられた和也も検査のために入院したひかりのお母さんも、水の事故に遭った若葉も最後は病院に行きつきます。
あだち作品では登場人物等の死が定番になっており、それが人によっては作品を受け付けないという理由にもなっているようですが、描かれる死はそれほど現実離れしているでしょうか。
文学作品でも、映画でも人が亡くなる描写はありふれています。
漫画家あだち充も、物語の仕掛けとして「死」を扱い、それぞれの物語を成立させています。
「鱗」を聴きながら、あだち先生のマンガに描かれている死について、遠い昔考えたことを思い出してしまいました。
あだち作品は、私たちの生が常に死と隣り合わせであることを教えてくれます。
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