摂食障がいの克服12【外食の恐怖、食べることへの理由】
外食に限らず、『食べる』ことに『理由』が必要だったころは、辛かったなって思います。この後、消費予定があるから、炭水化物も食べてもいいかなあ、だとか。
『なんで食べるのか』って、もちろん、生きるためでしょって周りは言うし、私もかつて、していた自然なことだけれど、摂食障がいとなり『食欲』より『頭で考えて』食べることが、すっかり習慣になり、よく分からなくなりました。
外食も恐怖。会食も恐怖。そんな予定外に私は食べられない…。夜、飲みに行こうかと友達と決まれば、朝とお昼を抜いて、走ってから臨んだり。(過食になれば、その何倍も食べるのに)
まだ友だちならいいけれど、『うまく食べられない』と言えない状況では、心臓は内心バクバク、そして、何だか普段抑えてる食欲爆発して、帰りにコンビニでたくさん買ってしまう。
昔であれば、友達と朝待ち合わせて、ランチして、ケーキ食べて、夜も食べて、帰宅して眠れたのに。なんて、勿体無い時間の遣いかた、そしてお金もかかる…
どうしても、抑え気味に食べてしまうから、普通に家族とランチしても、『私は少食だから』って私だけ少しにしてみたり。(実際、少食な方では、元々はあったとは思いますが)
禁止食品もたくさん。すべてすべて、本能を抑えて、自分の思考を歪めてコントロールして、頭で考えて『食べる』
摂食障がい、本当に不思議でいて、あの頃はどうしようもなかった。
昨日のお昼に外食して、今日は、家族とお昼はロイヤルホストへ。朝とお昼で1500キロカロリーとか、摂食障がい真っ只中、考えられなかった。
まとまりがありませんが、摂食障がいになると、様々なルールに縛られて、ステップあやさんも言ってた、『ねばねば思考』(こうでなければ、こうあるべき)だとか、本当人間の自然を奪う病気だと思います。
ところで、私の主治医が言ったことばで、
『自分の魂が、自分の身体を、借りてると思ったらどうかな?』って。
『そしたら、大事に扱ってあげられない?疲れてるんだなー、身体。おふろにいれてあげようかな?とかね』
自分を大事になんて思ってなくても、身体は借り物であり、この世で借りて、そして、いつか『返す』ものだって思えば少しは大事に思えないかな、と。
私このことばにもっと早く出会いたかったと伝えて、主治医が『まだ、遅くないよ』って仰ってくださり。
私の親戚も『自分が1番よ』そう思わなきゃって。
後、主治医のことば。『感謝は還元していったはらいい』って。感謝してる本人に返せない状況でも、その感謝を、違う形でいい、他の人にでもいい、何かできたらいいと思うよって。
生きづらさをどう解消して、どう身体や心を許していけるか、そんなことを、今日も考えつつ、ランチでお腹いっぱいになった、そんな日でした。
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