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摂食障がいの克服207【つないだ手】

 週が明けて、今日は朝から出かけており、午後はひたすら事前準備、及び勉強をして、その後お仕事して、帰宅しました。

 以前の仕事で色々と経験した後に脳神経外科を訪れた私。頭でずっと音が鳴っていて、一番きついのが黙読。テキストを読んでいても苦しくなるので、その後、国家資格であるFP3級・FP2級を含め資格をいくつか取っていますが、勉強が大変です。

 今日は一級から一旦離れてみて、先日の準一級を解いていました。語彙問題・長文はわかったかなあ。リスニングもしてみました。だいぶ活動してからだったので、また明日クリアな頭でしてみます。すらすらって解けるレベルではないです。英作文と要約はそれでも一応組み立てられますので、1級を勉強しつつ、こう準1級も組み合わせるといい勉強法かも。

 とにかく長文にせよ、英作文にしても、また2次面接にしても英語の問題ではなくなってくるというか。専門知識や、時事問題や。

 この頭が鳴り響く症状がなければ全然ましだろうな、そう思いながら集中するまでが長い。そして、仕事自体もやはり責任伴うから、すくらんぶる同盟のわかめに徹している場合ではなくなって、仕事中だけ、高いハイヒール履いて、普段より10センチぐらい高くして、望んでいます。実力がわかめなんだから、事前準備に何時間もかけるしかない。それでも反省点は出てくるので、反省した分次の結果に繋がるように、さらに準備するしかない。

 頭鳴りがなければ。

 これもきっとこの後も共存するんでしょうね。もう5年だ。

 JAMじゃないけれど、ハラスメントやいじめ、ネグレクト、虐待、全部なかなか回復しないと思うんですよね。その後のその人への人生を一生左右するぐらい大きい。今日も世界の惨状を見れば心が痛くなる、余命半年の母親が娘にメッセージを残した番組を見れば涙が溢れる。人として。

 その一方で、『アリーマイラブ』で、アリーがジョージアに聞かれるんです。(アリーの初恋で、大恋愛して、振られた相手の奥様がジョージア。振られたアリーは努力し弁護士になり、セクハラに遭い、その上司を訴えます。その際の弁護側事務所に後に勤めます。そこに、初恋相手のビリーがいた。美人のジョージアという妻のいるビリーが)

 後々ジョージアとビリーとアリーの三角関係もまた、アリーの様々な恋愛を経て進展しますが、あの時ジョージアがいった。

 『ねえ、アリー。あなたの悩みってどうしていつも大きいの?』

 『Because it's mine.』(私の悩みだから)

 いつも思うんです。みんなにとっては小さなしょうもない悩みでも自分に大きければそれは大きな悩みだ。

 山本文緒さんかなあ、80代のおばあちゃんも真剣に悩んでるかもしれない。って書いてた。これ、あながちあり得るのかもしれない。

 いくつになっても、自分のだめなところや、自分の暗い過去や努力で乗り越えられない症状や、どうにもならないこと、そういうことに悩むものではないのか、と。

 愛に飢えてるっていう表現なんですけれど。
 これも無論今の私にも色々悩む事柄があり、本気で最近苦しくなっています。以前より(以前というのは、この1、2ヶ月ぐらいでしょうか)。
 
 今でもある番組で、『千原ジュニアのへべれけ』っていう番組があるんです。千原ジュニアさんって、天才だと思う。このへべれけみてて、いつもそう思っています(あまりそれ以外は詳しくない)。

 『千原ジュニアのへべれけ』という番組では、名古屋の素敵な飲み屋さんをジュニアさんとアシスタント、そして1軒目、2軒目、3軒目とゲストが増えていって、ひたすら飲みながらトークするというもの。

 私が見ていた、高橋真麻さんが、ゲストで出演されて、その次からレギュラーアシスタントとなり(この番組はゲストで面白ければ、アシスタントの座を狙える?みたいな要素もある。けれど、高橋真麻さんがあまりに気配り上手でトーク上手で、誰も超えられない)、そして、ジュニアさんと乾杯するシーン。

 ジュニアさんが、真麻さんに日本酒をつがれるのです。
 そして、真麻さんが感動するんです。『えっ・・・ついでくださるんですか』と。そして、ジュニアさんが言う。『あなたね、愛に飢えすぎですから!』

 私も、立ち飲み屋さんとか飲みに行くにつけ、マスターのおいしいお料理を頂いて、まして友達がごちそうしてくれて、人のやさしさに触れすぎて、涙がとまらない、ということもよくありました。

 過去にいくら辛い思いをしても、こうやって愛に飢えたからこそ、小さな幸せを感じられるということもある。

 とはいえ、今は状態はよくないです。ごまかして生きてる要素が多々ある。本質的に悩みを追求すると、自分は粉々になるでしょう。

 私は、室井佑月さんの、『ママの神様』が好きです。
 いわゆる貧困とまではいかずとも、シングルマザーが水商売で生きていくと判断して、家賃12万円の家を借り、1階で居酒屋を経営。幼い息子は2階(そう清潔でない)でひとり眠る。朝はママを起こして、幼稚園へ。(ママが起きれないから毎日は行けない)幼稚園へ行くと、ひそひそ噂される。『お酒臭いのよ』でも息子はママに言う。『ママ、僕は気にしてない。ママは僕に似て、強い』ある日ママは悩む。自分は一生懸命がんばってきた。でも息子は私の息子で幸せなんだろうか。

 ふたりはコンビニに行く。『ママ、なんでチョコレートが売ってるんだ?』『もうすぐ、好きな人にチョコを送るんだ』『ママ、お客さんにチョコを配ったらいいんじゃないかな?そしたら、みんな気づくんじゃないかな。素敵なママだって』

 ママはチョコを買う。そうだ、息子にも買うよ、っていう。『僕はいい。だって素敵なママだって知ってるもん』

 つないだ手を離さなければ、こんな私でも生きていけるに違いない。

 (先日、英語勉強のコツがもしも書けたなら、こんな私でも生きていける・・そう書いたのは、このママの神様のラストの文章が自分に蘇ってしまって)

 私は素敵なママではなかったけれど、このおててでしょ!って言ってくれる存在がいるということは、すてきなもの以上にすてきなものだろう

 すてきなものなんて売ってないけど、もう持ってるんだ、私。
 すてきな息子がいるんだ、私。

 けれどもすてきなものを今もまだまだ探して傷ついて、なんとか生きているんだろうなあ。

 今朝NANAを読んでいました。
 NANAのナナとハチが蓮のライブに初めて行くシーン。
 気づけば手をつないでいた。

 オンタイムな話題。私はできないけど・・・。


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