コンプライアンス意識
はじめに
コンプライアンスという言葉はここ20年ほどでよく聞く言葉になりました。日本語では法令遵守と言われています。企業はお金を稼ぐだけでなく、社会的に責任を果たさなければならなくなってきています。企業の社会的責任が言われるようになったのは公害問題のあった時期からだと思います。公害問題の時期の社会的責任は国民の生命と生活を守ることでした。しかし、2000年代以降はそれだけでなく、社会のお手本となることが求められるようになります。おそらくそのきっかけは旧大蔵官僚によるノーパンしゃぶしゃぶ事件ではないかと思っています。今回はコンプライアンス(法令遵守)について書いていきたいと思います。コンプライアンスと法令遵守という言葉がそれぞれ出てきますが、特に区別はありません。
法令遵守がなぜ必要か?
法令遵守みたいなしょうもないことに気を配るよりもそんなことを気にせずに豪快なほうが楽しい。真面目ちゃんなんて堅苦しいだけ思っている人もいるでしょう。こういう考えを持つことを否定しませんが、何かを勘違いしているような気がします。法令遵守と豪快は話が別ですし、法令遵守をしながら、豪快なこともできます。高速で150km/h出している人に憧れているんですかね?豪快ですけども、あれがいいのかと思ってしまいます。ルールがある以上、それに従わないといけません。法令は人間が社会生活を営む上でのルールであり、それがなければ無秩序になってしまいます。法令を遵守することは社会生活を営む上で最低限必要なことです。それができなければ、単なるアウトローです。法令遵守にとらわれるなといったことは社会生活からの離脱を宣言しているに等しいです。決められたルールがある以上、それに従わなければなりません。そのルールを変えるにも今のルールに従って変えなければ、力による変更になってしまい、野蛮な行為を認めてしまうことになります。
法令より空気を優先
日本人は真面目と言われていますが、法令遵守意識は高くなかったのだと思います。「赤信号みんなで渡れば怖くない」に代表されるように法令よりも空気に従っているように思えます。しかし、近年は法令を遵守しすぎる空気感が強くなっており、やたらとコンプライアンスと言われるようになりました。前節の冒頭のようなことを言っていたり、思っていたりする人は法令遵守が堅苦しいのではなく、法令遵守を意識しすぎている空気感が堅苦しいだけです。ヨーロッパ人と日本人の法令に対する意識は異なります。どちらがいいとか悪いとかではありません。ヨーロッパ人は自分の権利というものを革命などで勝ち取り、それを憲法などの法で保障されるに至りました。権利意識が強い分、法令遵守意識も非常に強いです。法で決められていることをしているだけというのが彼らの感覚です。
それに対して、日本人は東洋的な法令意識や権利意識はありました。これは古代中国に由来する律令制度がベースになっています。西洋的な法概念は明治以降になり導入され、そこでヨーロッパ的な権利と法に触れることになります。日本人の権利と法は自ら勝ち取ったものではなく、ヨーロッパ輸入したものになります。そして、それを日本の独自の法制度を組み合わせて確立されました。つまり、ヨーロッパは荒々しい方法で権利を勝ち取りました。そのため、法令への意識についても能動的と言えます。それに対して日本は平和的これらを取り入れました。法令への意識は自らが獲得したものではなく、与えられたものという受動的な考え方が強いように思います。空気が支配すれば、法をも上回ってしまうというのが恐ろしい現状です。法令遵守がしょうもないものではなく、法令遵守は非常に大切なものです。それを意識しすぎる空気感のほうが危険と思います。本来の目的は社会生活を営む上で必要なことがコンプライアンスであるはずなのに、自分の手足を縛るようなことをしようとしているこの空気感はコンプライアンスでも何でもありません。コンプライアンスというものは自ら意識するものであり、空気によって生み出されるものではないと思います。法令遵守そのものと法令遵守という空気は別ものです。守るべきは法令遵守という空気ではなく、法令そのものです。空気が変われば、法令を違反してもいいことになってしまいます。そんなことが許されていいはずがありません。
法令遵守がもたらす利益
法令遵守がもたらすものは特にないというのが本当のところです。強いて言うならば、法令違反によるダメージを防ぐことができるということです。つまり、法令遵守をしているから加点されるわけではありません。利益に直結するものでもありません。そういったことから後回しにされてしまうのではないのかと思います。監査で法令遵守を確認することがありますが、そういった意識の低いところは非常に多いです。利益を優先する姿勢が強いあまり、法令遵守は二の次にされてしまいます。利益がなければ、会社の経営が成り立ちませんが、法令を守っても利益を生むことはありません。しかし、法令違反によるダメージは今まで積み上げた信頼や利益が一瞬で吹き飛びます。監査する側としてはそういったことに細心の注意を払います。監査後に不正などが発覚しては意味がありません。
そして、これまで経験した会社で、人数規模と法令遵守意識は比例します。前職は20人前後の非常に小さな会社で、管理部門に法令遵守意識がないというよりも知識が皆無という状態で平気で法に抵触するようなことを推奨することも珍しくありませんし、社内規定が法令に抵触していることもありました。顧問弁護士に見てもらったと言っていましたが、弁護士がそんなことを認めるはずがないというぐらいガッツリ違反しているものすらもありました。まず小規模な会社では管理部門が法令遵守の研修を受けるべきと考えます。管理部門の法令遵守の意識が薄く、知ったところで何になるという考えが根強くあります。監査をする側としては由々しき問題です。管理部門が法令の知識を身に付け、他部門への指導を行うという仕組みを構築するべきです。会社を経営されている方にはぜひとも法令遵守は二の次と思わずに取り組んでいただきたいです。
今の取引ではそういった潔白さが求められます。利益を上げるために、悪事を働くことが難しくなってきています。大企業との取引において、潔白さが必須になってきています。大企業が悪事をせざるを得ないような条件を提示しているので、必ずしも小さい会社だけの責任とは言えませんが。コンプライアンスはしょうもないことでも堅苦しいことでもなく、社会生活を営む上で当然のことです。そして、自分の身を守る盾になります。法令遵守に力を入れる理由は自分たちを守るためです。サッカーでも野球でも点数がどれだけ入っても勝てるとは限りませんが、失点しない限り、負けることはありません。法令遵守は失点を防ぐための守備の強化と思っていただきたいです。サッカーチームでも守備の強いチームが次のステージに駒を進めたり、優勝したりします。利益は得点ですが、得点を守るために失点を防がなければ負けてしまいます。法令遵守は得点を守り、勝ち残るすべなのです。
最後に
法令違反の大半は自ら悪事に手を染めて行うことは少なく、知らず知らずのうちに法令に違反していたというケースが多いです。しかし、それが法令違反であると指摘されたにも関わらず放置しているケースは少なくなく、これまでのやり方を踏襲しているので変えるのは難しいようです。気持ちはわかりますが、法令に違反しているので、違法は違法なので、そこは対処していただきたいです。というより、対処してくださいとなります。生活が苦しいので万引きをしていて、これまでそう言って許してもらえましたと言われても、それはかわいそうですね、見逃しますとはなりません。犯罪は犯罪ですから、目を瞑るわけにはいきません。どういう事情があれ、違法な状態を放置することは決していいことではありませんし、すぐに対応してください。その対応が会社の生命線を握ると言っても過言ではありません。有名じゃないから、大きくないから注目されないという理由で後回しにすれば必ず痛い目を見ます。改善できるところから改善すれば、その努力は必ず報われます。その姿勢こそが法令遵守意識が定着し始めている証拠と思います。行動に移すことこそが、法令遵守の要になると考えています。