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表現の自由は無制限ではない

はじめに

少し前につばさの党の選挙妨害問題で選挙妨害対策について議論が沸き上がっています。逮捕されたつばさの党の人たちは「表現の自由の侵害だ」と言っています。一般的な感覚からすると、表現の自由の範囲を逸脱していることは明らかです。SNSで誹謗中傷をしている人が免罪符代わりに使っているのとまったく同じ構図です。今回は表現の自由と選挙妨害について書いていきます。

表現の自由とは何か

表現の自由は憲法21条で保障されています。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法

表現の自由には知る権利、取材・報道の自由、集会の自由や名誉毀損などが含めております。表現の自由は精神的自由権の一部であり、精神的自由は他の権利と比較して、制限が少ないです。つばさの党の人たちやSNSで誹謗中傷を繰り返している人たちはこの考えしか頭になく、表現の自由は無制限に認められていると勘違いしているだけです。思想信条は人の内面のため、絶対制限を受けることはありませんが、表現の自由は自らの思想信条を外に出すため、一部は制限されます。極端な話をすると、過激思想を持つことは自由ですが、それを計画したり、実行したりすることに対しては制限され、思想に制限が加えられたのではなく、行為に制限が加えられていることがポイントです。
絶対的に保障される権利は「これを侵してはならない」と記載されているのに対して、一部制限される権利は「これを保障する」となっています。21条2項の検閲については絶対的な禁止を規定している条文であるのに対して、1項は保障をしているにとどまり、一部が制限されることを示唆しています。
21条1項の保障範囲はどこまでなのかと思われるかもしれません。よく言われるのが公共の福祉に反しない限りと言われます。法律の勉強をしていた人以外、公共の福祉って何?となる人が多いと思います。公共の福祉を簡単にまとめると、他者の権利が守られていることです。つまり、公共の福祉に反している状態は他者の権利が侵害されている状態です。他者の権利が少しでも侵害されれば、公共の福祉に反するのかと言えば、そうではありません。権利行使者と被行使者のバランスになります。それは裁判などで個々に判断される事象になり、権利ごとに制限させる程度は異なります。
表現の自由は基本的に認められるが、他者の権利を侵害するような場合は制限が加えられるもので、その制限が刑法の名誉毀損罪や景品表示法の表示規制や公職選挙法の自由妨害などは表現に関する規制になります。表現の自由は無制限に認められるものではありません。制限されるのは思想信条ではなく、表現する行為であることを忘れてはいけません。思想信条が制限されることは絶対にありません。
他者の選挙を妨害する行為は他者の権利を明らかに侵害しており、表現の自由の域を逸脱していると言えます。他者の権利を侵害しているという自覚がないとしか考えられません。

選挙は表現の自由を最大限生かす場

今回の選挙妨害だけでなく、表現の自由の侵害と言えば、何でも認められるという風潮があると勘違いしている人たちがいます。表現の自由が不当に制限されたり、侵害されたりすることはあまりなく、むしろ現在の日本においては表現の自由が無制限に認められているのではないかと思うぐらい無秩序だと思います。
安倍政権時代の自民党が選挙演説中に演説を妨害するぐらいの音量で野次というか罵声を浴びせ続け、危険であると判断して、そういった人たちをその場から排除しようとした行為に対して、裁判所は表現の自由を侵害したいとして罵声を浴びせた側が勝利する判決を下しています。実はこれと今回のつばさの党の件が絡んでおり、彼らの主張では過去にそういったことが認めれており、自分たちだけなぜ許されないのかと言っています。過去の判決が彼らの行動を正当化させたと言っても過言ではありません。どちらの行為も認められるべき行為ではありませんし、野次で選挙演説が聞こえなくするのは、選挙の本来の目的に反していると考えます。
一番情けないのは野党で罵声を浴びせた人たちをその場から排除しようとしたときは表現の自由の侵害であるとして与党を批判したのに対して、今回の件で、自分たちが被害者になれば、こんなことを認めてはならないと言っており、主軸が自分たちでしかありません。彼らにとっての表現の自由は自分たちに有利か不利かで判断しているようにしか思えません。
表現の自由を考えるときに政権に有利か不利かで判断してはなりませんが、候補者の演説をかき消すような音量で罵声を浴びせるのは表現の自由を明らかに逸脱した行為ですし、候補者に危険が差し迫るような選挙では民主主義の国とは言えません。選挙は表現の自由を最大限活かす場であると考えています。その選挙を妨害することこそ、表現の自由を侵害する野蛮な行為だと言えます。今回の選挙妨害の件をきっかけにこういった妨害行為に対して、厳しく取り締まりながらも、候補者や応援者がしっかりと守られるべきであると考えています。

最後に

表現の自由と言えば、何とでもなるというのはありえません。制限させるには理由があり、意味もなく制限されません。中国や北朝鮮のような国では意味もなく、制限されてしまいます。日本ほど、表現の自由を認めている国は他にないと思います。これは褒め言葉である反面、無秩序になりつつあるということでもあります。表現の自由が無制限に認められるという風潮があることが問題だと考えます。一般的な日本人の倫理観で考えると、他人を傷つけることに対して表現の自由が認められると考えないはずです。表現の自由を自分の行為を正当化にするための道具と考えている人たちの言動には強い憤りを感じます。表現の自由は公権力から市民を守るための権利であって、他者を貶すために認められた権利ではありません。本来の目的に立ち返ることで正しく健全な言論の場を設ける必要があると思います。

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