所作が好き。
茶道と書道をしていた。なんなら花道もしかったけど、最近、HSPということで自分がよくわかる。数年前に書き始めた時は、HSPとわかってもイライラするばかりでどうすればいいのかわからなかったけど、今は前よりわかる。
こうゆうものだ。と言われてから時間を置くのは効果がある。初めから知らされてないとその過程、過程にある小さな発見の積み重ねも重ねられない。
アドラーの本も読んで理解できたとして、それを実践するまでに20年かかると言われているし、その水飲み場まで誘導してもらっても、自分が水を飲むか飲まないかの最終判断はまた別の選択とされている。
仕事に追われながら茶道をしている時、覚えることに他の人からプレッシャーになった時、私は「なんの意味があるだろう?」と茶道を煩わしく思った時期があった。
・他人軸に急かされたから
本来は忙しくても、茶道をする頃で心が整った。ただそれだけがそれ以上にすごいのに、他人軸に圧迫されたことで意味すら失った。
最近他人に干渉されない生活に切り替え、茶道をすると、足の運び、手の運び、佇まいの直し方が整い、覚えて無意識にできるようになると自分の思考に余裕が生まれる。
「自分に考える時間の余裕が生まれる」
ただそれだけだけど、それ以上にすごいことだった。
生きてて一番大変だったのは、「私の考えるものさし」を構築する作業だった。他人の目を気にせず、自分の失敗を許し、それでいいというよりそこから次どうしてみようかという小さな挑戦を自分の中に毎日、毎回、毎秒生むことだった。そして、それは慣れてないと辛いし、しんどいし、疲れる作業だった。
できるようになると「不安」を感じることがなくなった。次々にやることができるから、不安を感じてる時間が物理的にないのだ。
そんな生活に自主的に移行し始めるとますますの生活の「型」の重要性に気づく、考えずに美しく効率的に動けることがどんなにきれいなことかと。
HSPの私には「知る順番」が大いに大事だと思っている。
現代はすでに残っている形の伝統がいっぱいあるけど、それがやはり「なぜ」なのかをわからなくても「疑問」を持てる姿勢がHSPの生命エネルギーでもある(でも、やっぱり、ただの疑問もすぐ悪く言うみたいにとられることも多いから疲れる)