普通の人がいいという妥協|HSPからひもとく好きとはどこからくるのだろう。

最近普通の会社に業務委託するようになってあっという間に1ヶ月がたった。

多分普通の人とは私が思うより社会的に十二分のスペックがあり、普通の結婚相手とは、なかなかの幸せなものを気付ける値する経済力のある人々なのだろうと思ってたりする。

たぶん「好き」という方向の話で
私はこの前「嫌い」ということについてnoteを書いた。

なかなか面白かった。

生理的に「嫌い」なんてもっと主観的に考えていたけど、理由があり、それは人類の流れからきてるものなんだなとなかなか自分のルーツについて考え感じるいい機会になった。

・衛生面
みんな衛生状況が悪いだけで簡単に死んでいたことを考えるとDNAレベルで気嫌いするのはわかる気がする。
・出産への懸念
これは女性対象だけど、「頭髪が薄い、低身長、毛深い、体格が貧弱」に対して嫌悪感がふりかえってないとも言えないから、面白いな〜と思った。
しかし、ハゲはよくないのだろうか?低身長って遺伝だとしてなにか?劣勢?毛深いは?よく体守られていると思うけど、貧弱はすぐ死にそうだからわかる気がするけど、儚気なBLは今や人気。
。。。謎が深まった。。。
・常識がない人への嫌悪
例が面白い「食べ方が汚い、ケチ、暴言、手を挙げる、奇妙な会話、ギャンブル依存」なるほどね、個々では嗜好が分かれそうだけど、集団生活の方向性を大事にする人類からみたらリスクが高いのかもしれないな。
そんな目線ならなんとなく納得する。

その逆が、DNAレベルで好かれる「好き」って言われるものとなる。

それってなんか「普通」に見えた。

「普通」ってレベル高いのかも!

「好きのDNAレベルとは」と逆算してみよう。
・衛生面
確かに、衛生的か衛生的ではないかと言ったら、衛生的な方がいいと私も言える。でも、目に見えないな〜とも思うとどっちかといえばくらいの話であろう。「衛生的=きれい」とするなら潔癖症の部屋とちょっとルーズな部屋に住んでる人なら、ちょっとルーズな方が気が楽だ。死なないくらいなら、衛生に精神的ストレスを当ててまできれいにする必要はないなと思う(もちろん、これはもう既に衛生的に国際的にも評価を受けている日本に既に生まれ落ちている前提かもしれない、もしかしたら、そんなことを考えるところで日本人っぽいのかもしれないな)。
・出産への懸念
今まで考えたことなから謎のジャンルだけど、、、「頭髪が薄い、低身長、毛深い、体格が貧弱」ねー。頭髪の薄い人は性欲が強いと聞いあことがあるし、それまた分解すると、制欲のある人は体力もある(体力をつける傾向にあるが正しいかな)から、勉強もできることが多いらしい。「低身長」問題も私も過去憧れたスペックの一つだが、190cmの人と付き合ったら満足した。不便であった。なんとなくそこで思ったのは女性としてその体格差に「守られている」感を求めていたのではないかと思っている。顔だけいいモデルとツルむようになると高身長の魅力の限界は見えたような気がする。が、圧倒的にレアケースなのでイケメンに遭遇したらテンションが上がる人間の心情は忘れないようんしている。(ちなみに私はマイイケメンの方向が明後日だとよく言われる。競合がすくなく助かっている。)
「毛深い」ね〜、ギャランドゥがエロいなと思っているから、私が答えるのは場違いかなー。ワイルドな人が肉とか魚とか取ってくるとなんかすごい魅力的に感じるんだけど、これも私だけかな。
「体格が貧弱」問題ね。日本人の非筋肉見慣れてるとなにも感じなかったし、そのBLの女性のような男性というものに惹かれた青春もあったからなー、まだまだ研究しがいがあるけど、海外の男性がなぜあんなにマッチョなのか見ると、たったそれだけで「男性」を意識させられたわ。とは反面、あなじ人間に思えないという発言も聞いたことがあるから、その人の生きてる習慣環境との乖離距離もなかなか注目ポイントである。
・常識がない人への嫌悪
「食べ方が汚い、ケチ、暴言、手を挙げる、奇妙な会話、ギャンブル依存」に対して嫌いを思うのなら、「食べ方がきれい、ケチ、暴言、手を挙げる」は家庭環境に100%とはいないけど依存するし(最近は「鉄分不足」でそうなる子供の研究結果もでてるしな。。。)、「奇妙な会話」は今のところ発達障害系と私の中でしている。「ギャンブル依存」は精神依存にも近いような(よくわからん)。
「出産の懸念」という概念が女性に対して無意識的にも発動しているとして、その判断基準もその女性の主観によると偏見も加味したその個人の嗜好に偏るってことになるよね。二転三転する結果が調査すれば出てきそう。(面白そう。なにか(主観論)となにか(経験論)を抱き合わせたら、欠点も魅力になるケースとかもありそうってことだな。)

結局(1)、自分を知って、自分の置かれた環境を知って、そこから、相手を見た方が理解が大きいし、乖離しすぎて自分が共感できない部分、単にわからない部分については、素直な質問を自分の中で形成し相手に投げかける単純な行為が結局一番手っ取り早い。

が(2)、書いていた通り、質問しても自分のことが上手に答えられない人は多い(質問が多いのは嫌だられることも多いということ)。だから、なんとなく同じ空気を共有し合い同じ空間で楽しめることを重きに置く人は今後の人類でも絶えずあり、おり、見えるコミュニケーションとしては一番わかりやすく手っ取り早いとなるのだろう。

田舎に来ると東京の当たり前に改めて、すごいこったと思わされる。自分が感じる、気づくが本当に面白い。

HSPの自分は(2)について20代磨いた。表層だけでいいから結構楽(ボケとツッコミの練習みたいですんで)だったけど、フルハイテンションガールなので非常に疲れた(特にHSPの自分からしたらなお)。ついでに毎日量産しては蓄積されない人間関係に空き始めたのもよくわかる。(1)に興味を持った時、結構めんどくさい子に思われた。という前に、既に(1)の気質の人に会って、楽しい雰囲気に水を差しながら、空気で会話することに意味あんの?みたいに言われて。。。「かっこいい!」と思ってしまった私が原点にあるのだろう。

「かっこいい」と思う、思ってしまった私という存在は今もはっきりいる。だからそうなりたいと思うかは別だろうけど、結果として、そうなろうとしていたようだし、そうなる過程はあんまり自分は好きじゃなかったけど(相手を一度否定するというか、空気をあえて壊すとか)、結果的に今そうなってる自分に気づくし、「理想」というより、これは私の「普通」として私に組み込んでる。

そんな私の「普通」はあんまり理解されない方だけど、自分は好き。

自分にとってどうでもよくないことをこだわり抜き、相手に押し付けるではなくて、伝える努力が「好き」の始まりなのだろう。

自分の好きを獲得しつづけることがどれほど大変か。それを最近知ってる。

一周して、普通と言われるサラリーマンの人が本質としてどこまで自分が好きかわからないけど、その立ち振る舞いは、完成系に近いなーと思った。(我慢ばかりしているのはやりとりしててよくわかるけど)。
一周してただ見え方が違ってきたよっていうだけでもあるし、ただ違う見え方をするだけこんなにも深いとか(多分この深いはHSPならでは。)ここまできて、ちょっとHSPが好きになった日。

HSPのものさしは、おざなりにしたら使い物にならないどころか厄介だし、使えるまでに本当に大変。でも使いこなせてきた時の感動はひとしお。ということにして前向きに今日はここで。


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