必要ないものだからゲームは面白い
普段は、世代間を問わず中立な記事を書くように心がけているのですが、
たまには、”老害” 的な意見も書かせてください。(^^;
以前、ある e-sports の動画を観ていたとき、ゲストの e-sports 選手が
”このゲームの社会的意義” みたいなものを語り出したのです。
そういうのを見るたびに、私は
「白けるなぁ…」と思ってしまうのです。
《私たちは生活に必要ないものを作っている》
私が勤めていたゲーム会社の社長が、繰り返し言っていた言葉です。
これは、ゲーム業界の不安定さを警告する意味もありますが、
という本質を突いた言葉でもあるのです。
◎ユーザーは無駄なことにお金と時間を使う
生活必需品、例えば食料品であれば、多少期待外れでもユーザーから文句を言われることはありません。
特に食料品の場合は、なければ生きていけないので、
「お金と時間が完全に無駄」となることがないのです。
しかし、ゲームは期待した以上のものでないと
となってしまうのです。
◎社会的意義がなくても遊んでもらうには
もし、ゲームに社会的意義があるのなら、開発者は以下の様な考えに捕らわれるようになるでしょう。
けれど、そんなことは起きません。
ゲーム開発者は、「魅力」そして「面白さ」で勝負する以外ないのです。
ゲームが生活に不必要なものだからこそ、
開発者は「それでも遊びたくなるゲーム」を作るために情熱を注ぐのです。
そして、その情熱が、ときとして「とてつもなく魅力的で面白いゲーム 」を生むのです。
《浅い経営理論には注意》
経営理論を勉強していると
社会貢献マーケティング
グリーン・マーケティング(環境配慮)
という手法が出てきます。ようはイメージ戦略ですね。
マーケティングとして好きにやればいいのですが、それが主軸になってはいけません。
そのマーケティングをすれば売れる!などという商品はありません。
ゲームであれば、なおさらです。
ゲームに無理やり社会的意義を付ける必要はありません。
「ゲームは社会的意義のあるもの」という考えは、ゲームの品質そのものを劣化させてしまうからです。