四柱推命の鑑定を受けて~母について追記
(こちらは2020年5月25日のブログ記事の転載です)
こちらの記事で私は自分のトラウマについて書かせていただきました。
このことがきっかけでTwitterで知り合ったくるみさんから母との関係について四柱推命で見ていただくことになりました。
こちらを読ませていただいて、私の中でものすごく腑に落ちるとともに、もう少し、母について追記しておきたいという思いが強くなり、あと少しだけ書かせていただきます。
「子供らしくない」と言われた過去
くるみさんの鑑定を読んで、真っ先に心にグサッときたのがこちらです。
これ、実際そうだったんです。
母だけでなく、親戚のおじさんにも言われました。
「子供らしくない、かわいげがない」
と。
私は子供の頃は本当におとなしく、口数の少ない子でした。その分、人の観察は良くしていたようです。
またムダに記憶力もある子で、いわゆる「大人の話」を聞いていないようでしっかり聞いていて、いつまでも覚えているので気持ち悪い、とまで言われていたのです。
今考えると、自分でも気持ち悪いかも…
母の幼さ
母は欲しいと思ったものは、どんなことがあっても手に入れないと気が済まないタイプでした。
まるでおもちゃを欲しがる子どもが駄々をこねるようになるのです。手を焼いた父が結局、買い与えてしまうという…
私の中でそれが一番ショッキングな出来事として残っているのが、小学生の時初めて犬を飼った時のことでした。
当時、まわりでマルチーズを飼うことがはやっていて、母はまたいつものように欲しがりました。
あまりにも欲しがるので、家族でペットショップに行き、雌のマルチーズを飼うことにしたのです。名前は「メル」
家族となるとやはり情がわきます。かわいくてかわいくて…毎日散歩につれていき、ブラッシングしてあげ、一緒に遊び…
それが…
2年ほどたち、私は6年生になっていました。
ある日、学校から帰ると、メルがいないのです。
散歩に連れて行かなきゃと思い、母に「メルは?」と聞くと
「ペットショップに返した」
という返事。
「もう飽きた」
ショックでした。
もう成犬です。ペットショップに返したところで、売れるとは思えない。
どんな結末になるか、子どもながらに想像でき、言葉も出ませんでした。
2年も一緒にいたのに、「飽きた」という理由でさっさと見捨てた母。
その時、私が泣きわめき、暴れれば、もしかしたら母も考え直してもう一度、メルを取り戻してくれたかもしれません。
でも…私はそれができませんでした。
母の前では涙すら見せませんでした。それくらい、母に対して「何を言っても無駄」と無気力になっていたのです。
後に、私が次男と三男を妊娠した時、母に報告すると最初に出た言葉が
「そんなに子供はいらないでしょ。堕ろしなさい」
でした。この時、メルのことを思い出し、やっぱり母は母なんだと思ったのです。
壊れていく母
母はネグレクトと過干渉を繰り返してきたと前回も書きましたが、高校受験の時も私に黙って勝手に国立大附属高校に願書を出していました。
私がそのことを知ったのは受験1週間前です。
「あなたはここに行きなさい」
それだけです。その時も私は何1つ口答えせず、なんの感情もないまま受験したのです。
そんな簡単に合格できる学校ではありません。当然不合格となり公立高校に進学しました。
大学受験の時、初めて私は自分の意思を示しました。
「音楽の道に進みたい」
当然、大反対にあいます。
そこそこ勉強ができたということもあり、母としては私を医学部あるいは薬学部と考えていたようです。
この時、初めて私は自分の主張を通しました。
そして希望通りの大学に入学しましたが、その大学は2年生からキャンパスが遠方になるので、初めて一人暮らしを経験することになります。
すると、母はストーカー化したのです。
毎日何十回となくかかってくる電話。ものすごい留守電の数。
うっとおしいと思った私は無視をすることもしばしば。
そして2年生の夏休み。
家を出てから初めての帰省で、別人のようになった母を見て愕然としたのです。
当時母は47歳。
父の話だと、私が家を出てからすぐ、母の様子がおかしくなり病院に連れて行くと「うつ病」との診断を受けていました。私に心配かけまいと黙っていたと言うのです。
あれだけ気が強かったはずの母の目は焦点が合わず、無気力で家事は一切できない。
既に入院も経験していましたが、医者の言うことを一切聞かず、薬の量を勝手に変えてしまうので手に負えないと強制退院させられ、病院をたらい回しになっていました。
そしてまた、心配事があると誰彼構わず、時間も考えず、時には深夜にも電話をかけまくるという厄介な状態になっていたのです。
親戚やご近所からの苦情はものすごく、私たちがいくら母に注意をしても、母は全く悪いことをしたとは思っていなかったのです。
エスカレートする奇行
私が結婚して家を出ると、母の電話魔はますますエスカレートしていきます。
母のことは嫌いでしたが、やはり心配は心配でした。
三男が誕生するタイミングで、ちょうど当時住んでいたマンションに空きができたので、思い切って広島から川崎に呼び寄せました。
しかし、母のストーカー化はもっと進んでいくのです。
近くに住んでいても相変わらずの電話魔だし、ちょっとでも私が留守をすると、どこにいるのか、いつ帰ってくるのかと携帯に電話をかけてくる始末。
夜遅く、駐車場でずっと待っていることもありました。
そして、だんだんと理解できない行動も取り始めるのです。
当時、北千住に住んでいた妹の出産の手伝いに行った母。
2日目に妹とケンカになり、父が何かあった時のためにと持たせた20万円を一日で使い果たし、深夜タクシーに乗り川崎まで帰ってきたのです。
無賃乗車でした。
川崎まできて私が払いましたが…もし既に寝ていたらどういうことになっていたのだろうと…
そしてまた、父とケンカになった時にも
突然、家の権利書を持ち出し、近所の人に身内の不幸があったと嘘をつき、新横浜まで車で送らせて新幹線に乗り、山口県の母の弟のところまで行ってしまいました。
だんだんと母の行動が読めなくなり、父は家の金庫のカギを寝る時も肌身離さず持つようにしていましたが、母は今度は業者に頼み金庫のカギを開けさせてしまいます。
仕方ないので銀行の貸金庫を利用することにしましたが、父も私も精神的に不安定になっていきました。
父は自分も睡眠薬が手放せなくなっていましたが、私のことの方を考え、母を連れて九州に引っ越してしまいました。
父はそういう人です。
母の現在
母と連絡を取らなくなって5年になります。
母の様子は父の話からしか分かりません。最近は少しづつ友達ができ始め、外に出られるようになったと聞いています。
くるみさんのこの言葉、まさしく!と思ったのです。
鑑定を受けて
今回鑑定を受けてみて、初めて母の内面の部分を知ることができました。
これまでは私の身に起きたことだけを見ていたから…
母との50年は私にとってあまりにも壮絶で、強い憎しみの感情しか残っていませんでした。だけど母には母の葛藤があったのかもしれない。
これから先、母に会えるようになるかはまだわかりません。だけど母に対して、くるみさんに鑑定していただいた内容を読んで、これまでとは少し違う感情が芽生えてきたのは事実です。
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