見出し画像

わたしはもっと「適当に」生きたい

終わらない資料作成。残業時間がどんどん重むと、それに比例してイライラがつのる同僚たち。


数字が、合わない。

差異説明の辻褄が一生合わない。

というか、辻褄など、ないのではないか。最初から。


結局会社を10時頃に退社した私は心の底から思った。


適当に生きてぇ。


切実に「適当に生きる」を望む私のイメージ写真



あたしはもっと、雑な人間なのだ。こんな細かい数字の確認を、雑な人間に、やらせてくれるな。

数字なんぞ、意味がない。
人間が作っていることに、辻褄が合うわけがないだろう。辻褄が合わせられないことこそ、人間の良さだろう??


わたしは落語の世界が好きだ。まともじゃない人間にも、居場所が与えられるゆる〜い世界だから。上手くいかなさを、面白がり、慈しむノリ。これが現代社会には足りないのではなかでしょうか。


疲れ果てて、お風呂に入るのも、歯を磨くのも億劫になってどうしようもない深夜1時。そんなボロボロな状態だけど、この気持ちだけは、書き遺しておかないとと思った。

極限の状態から出た気持ちこそ、本当の私の気持ちであり、それは身体がある程度回復すればすぐに忘れ去ってしまうから。

きっとこのnoteが、未来の私の道標になってくれるだろう。

いいなと思ったら応援しよう!