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阪神淡路大震災のあった日の話
2025年1月17日は阪神淡路大震災発生から30年。
30年経過すると記憶も薄れ、被災した方も減っていくことから、様々なテレビやラジオで話題として取り上げられていました。
阪神淡路大震災をキッカケに、全国的に防災の意識が高まり、建物の建築基準も見直されました。
当時の私は高校受験直前の15歳。
住む場所は地震の影響はほぼ受けなかったけど、
私の祖父母(父方・母方ともに)や親戚は
神戸市在住で皆被災していました。
子どもの頃に遊びに行った祖父母の家は全壊。
祖父母は全壊した家の下敷きになって
助け出されたのは地震発生の翌日でした。
テレビでも映し出された光景を見ながら、父や母はどこでどれだけの被害があったかを確認していく。
斜めに傾いた柏井紙業さんのビルは父の取引先のビルで出入りしたこともあるし、柱がポキっと折れた阪神高速は祖父母の家に行く途中に通る道路だった。
そう。今回はたまたま被災しなかっただけで、もし祖父母の家に行ってたら被災していたかもしれない場所だったのだ。
母は安否確認のために電話するもつながらず、
親戚の誰かと電話が繋がり、親戚全員の無事を知ったのは数日経ってからだった。
連絡が取れるまでの間、母は気が気じゃなかっただろうと思うのは、当時15歳の私にわかってた。
が、今年になって気がついた。
現在の私、長男の高校受験が心配で仕方ないのに、
当時の母はその同じような心配にプラスして、
身内の安否が不明という、さらなる心配。
ハンパない心労だったんだな。。。母。
そんなことを思い出して、今日母にメッセージ。
ありがとう。お母さん。
阪神淡路大震災。
建物の倒壊や火事で多くの犠牲者が出ました。
どうして起こったのか、ひとつひとつを見つめ、
どうしたら防げるのかを教訓にしていくのが、
残された人たちの仕事なのだと感じます。
御冥福をお祈りします。